平等はどうやって考えていけばいいのか?

 インターネットなどの言論空間を見ていると、差別とはなんだろうかとなった時に様々な意見があるようだ。確かに差別というのは一概に判断するのは難しい。差別である、差別でないといった話を判断するのにいろいろな論理が飛び出してくるし、事情も出してくる、こう考えるべきだという基準もあるが、話している人によって基準が違うように見えることも多い。
 中には、いくらなんでもそれは難しいのでは?というような意見も飛び出してくるくらいであるが、なぜかそういった意見程、特定のところに強硬な支持を得たりとなかなか厄介なこともある。

 そういった中で、差別ってどんな風に判断すればいいのか?何か少しでも基準はないのだろうか? と悩んでいる方も多いだろう。 私自身もすべてを判断できるほどの英知はないわけではある。ただ、幸いに我が国は法治国家であり、差別に関しては判例といったようなものが、どのように判断していくべきなのか.。というのはいくらか示されているわけである。
 日本の判例を基にどんな風に判断されるべきなのかを私なりに紹介したいと思う。

1 判例の基準とは?

 基本的な判例の基準を紹介するわけであるが、判例としては一定の基準を設けているわけである。
 それが合理的理由となるのである。 ベースとなる判例がその参考として挙げられており、他の判例にも利用されている。 

 重要な部分だけ取り上げると下記のようなものになる。(括弧書き筆者の補足)
  


右各法条(憲法14条など)は、国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、差別すべき合理的な理由なくして差別することを禁止している趣旨と解すべきであるから、事柄の性質に即応して合理的と認められる差別的取扱をすることは、なんら右各法条の否定するところではない。(括弧書きは筆者注記)

① なぜ、「合理的理由」が必要なのか?

 判例では、合理的な理由の有無を判断するのが基本でありますが、どうしてそういったことが必要なのでしょうか? 私なりに簡単に理由を書くとすれば、人というのはすべてにおいて一緒ではありません。 当然色々な違いがあってしかるべきです。ですが、そういった違いを無視して一緒にすると、かえって不都合なことが生じます。
 そういったことを回避するために、その方法が合理的であるかどうかを検討して、利害の調整などをしないといけない。 となった時に、差別かそうでないかを検討するものなのであります。

② 合理性を判断するにあたり必要なことについて

 合理性を判断するのにはどんな点を見ていけばいいのかであるが、それは「事柄の性質に即応して」と書かれている。具体的に問題となって事例について、どんなことが問題になっているのか、どんな事情があるのか、どんな性質のものか、その事案を解決するのに必要な方法かどうか?といった具体的な問題を解決するために何を考えていけばいいのかがカギになります。
 問題解決のために必要なところを考え、必要でないこと、あまりに具体的な問題点から離れていることは考えないことで、差別性を判断するというわけです。

2 社会的環境より変わるケース 2つの事例を基に

 差別というのは時代によって変化していくことも意識していかなくてはならない。判例でも次のような事例を挙げることができるが、二つの事例を紹介しよう。

① 非嫡出子の相続分に関して

 かつて、判例によって合理性をうたっていたものであるが、近年そのことを否定した判例として非嫡出子の例をまず取り上げたい。

 過去の判例では非嫡出子については合憲という判決が出ていた。(最高裁判決平成7年7月5日) 理由については以下のようになっている。
 

本件規定の立法理由は、法律上の配偶者との間に出生した嫡出子の立場を尊重するとともに、他方、被相続人の子である非嫡出子の立場にも配慮して、非嫡出子に嫡出子の二分の一の法定相続分を認めることにより、非嫡出子を保護しようとしたものであり、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものと解される。これを言い換えれば、民法が法律婚主義を採用している以上、法定相続分は婚姻関係にある配偶者とその子を優遇してこれを定めるが、他方、非嫡出子にも一定の法定相続分を認めてその保護を図ったものであると解される。
 現行民法は法律婚主義を採用しているのであるから、右のような本件規定の立法理由にも合理的な根拠があるというべきであり、本件規定が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の二分の一としたことが、右立法理由との関連において著しく不合理であり、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないのであって、本件規定は、合理的理由のない差別とはいえず、憲法一四条一項に反するものとはいえない。論旨は採用することができない。

 

「本件規定(民法900条4号ただし書き)の合理性に関連する以上のような種々の事柄の変遷等は,その中のいずれか一つを捉えて,本件規定による法定相続分の区別を不合理とすべき決定的な理由とし得るものではない。しかし,昭和22年民法改正時から現在に至るまでの間の社会の動向,我が国における家族形態の多様化やこれに伴う国民の意識の変化,諸外国の立法のすう勢及び我が国が批准した条約の内容とこれに基づき設置された委員会からの指摘,嫡出子と嫡出でない子の区別に関わる法制等の変化,更にはこれまでの当審判例における度重なる問題の指摘等を総合的に考察すれば,家族という共同体の中における個人の尊重がより明確に認識されてきたことは明らかであるといえる。そして,法律婚という制度自体は我が国に定着しているとしても,上記のような認識の変化に伴い,上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという,子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。


 これにより非嫡出子の規定は変更されることになったのである。

 両判決を比べてみると、以前は法律婚を中心に展開していることを理由に、それ以外の者については原則的には法律婚のような適用を受けないことが一般であるということになっていた。現代の認識の変化を基に、子に不利益を及ぼすことは良くないとしたのである。 過去の認識も現代で通用しなくなれば、それは差別であるという風に認定された。

② 障碍者等級の男女差について

 もう一つの判例を指摘させていただきたいのだが、こちらは男性差別として認められた事例として、障碍者等級の話を紹介したい。

 事件内容としては、仕事中の事故によって容姿に著しい障碍を負ってしまった男性が障碍者等級に男女差があることについて、労災保険法の「障害等級表」は違法であると訴えた事例である。 訴えた当時の障碍者等級に関しては以下のようになっている。

(第7級の12)女性の外貌に著しい醜状を残すもの
(第12級の13)男性の外貌に著しい醜状を残すもの
(第12級の14)女性の外貌に醜状を残すもの
(第14級の10)男性の外貌に醜状を残すもの

 これについて、京都地裁平成22年5月27日の判決でこの規定は違法であるという風に判断したものである。

(イ) 裁判例について
被告の主張する交通事故の裁判例も,男女間の外ぼうの醜状障害に関
する差異についての社会通念の存在の根拠とはならない。障害等級表の
前身となる工場法施行令7条別表が昭和11年に新設されてから70年
以上が経過した今日において,男性の外見に対する社会の認識も大きく
変化してきている。外ぼうに性差などみられず,性差に関する社会的評
価や国際的情勢が大きく転換した現在,外ぼうの醜状障害に関する障害
等級表の規定は社会通念からは大きく乖離しており,もはやその合理性
は全く認められない。

(ウ) 精神的苦痛について
被告は,女性が男性に比して自己の外ぼう等に高い関心を持つ傾向が
あるから,外ぼうの醜状障害による精神的苦痛の程度について男女に差
異がある旨主張するが,外ぼうを装うことに関心の低い人が,その関心
の高い人に比べて,外ぼうに醜状障害を受けた場合に感じる精神的苦痛
の程度が低いとは必ずしもいえない。

 確かに、かつては男性の傷というのは女性に比べれば多く傷ついたりするようなケースもあったでしょうし、傷がかえって誉といった感じの価値観もあったかもしれません。(旧規定が制定されたのは1936年であり、戦前の話の時であるため、男性が傷ついたりすることもあれば、傷が勲章になったりするという古い価値感も認められていたのだろう。)また、女性の方の要望に社会的価値を大きく認めていたという点もあったのではないかと思われます。
 現代においてはかつての話である部分もあれば、男性も容貌の変化により社会的な影響を受けること、男性と女性というだけで傷を負ったことによる精神的な苦痛が違うというのは不合理となったわけなのです。
 この判決は、男性差別と認めた背景には時代によって変わっていく価値観を映し出したわけなのであり、強者や弱者というような壁により判断が変わってくるというものではないのであります。

3 女児の死亡時における逸失利益と、遺族年金

 平等という価値観は必ずしも弱者と思われているものに一方的に利益があるものでもない。その一つが女児の死亡時などにおける逸失利益の算定についてである。

 これについては、昭和62年1月19日の最高裁判例を参照しよう。

 簡単に要旨をまとめますと、賃金表を基に男女に平均賃金に差があるので、女児の慰謝料が男児よりも下がるのはやむを得ない。 としています。

 これはどんなふうに考えたらいいのでしょうか? 確かに、命に差を設けることは許されないと考える人もいるでしょう。 子供だって将来どうなるのかなんてわからない面もあれば、子供にだって男女関係なく、知性や学力などに差があるわけなのですから、男女で分けられないのでは?と思うでしょう。

 しかし、逆に将来のことを考えても先のことがわからないうえで、具体的に逸失利益を計算するとなると今度はどんなふうにすればいいのだろうか?未来がわからないからこそ、いざ、計算をするにしても方法が出てこないのである。未来の予測はできないし、その人がある程度将来が確約していたとしても、将来リスクや生活環境がどうなるかなどいろいろ計算すると相当膨大になる。さて、こういった広範な事情を全部斟酌(しんしゃく)せよとなとこうなってくると、考えに悩む方も多くなってくるでしょう。 
 何とかして逸失利益について計算をするためには擬制的ではあるが、現にわかるもので、できる限り公平に近いものを参考にするという点を考えたわけなのです。
 その参考になったのが平均賃金からの算出というものなのです

 平均賃金で算出しようとするのとなれば、男女の平均から逸失利益を算出しようという考えもあるでしょう。ですが、無理に男女差なしに逸失利益算定をすることは、男性側の現実的な状況を無視しており、かえって男性に対して不当に不利益になるのではないか?

 と色々なことが考えられるわけです。 その差を考慮したのが先の最高裁判例であります。

 この算定に関しては、今の時代では男女の収入もかなり変わってきていることから、変更してもいいのでは?という考えが出たりすることも、先の判例などを見ていただければ判断できると思います。裁判例でもこれと違った判例を出すようなこともあるようです。この論点は簡単には結論は出せないでしょう。 

 逆に、賃金格差などを検討して遺族年金が男性にないとしても合憲とした判例もこの件の参照になると思いますので、こちらに最高裁の判決文とこれとは違う判断を下した地裁の判決記事ともに出しておきます。 どう判断し、どう違った面があるのかについてご興味がある方は読んでおいてください。

平成29年3月21日最高裁判例

遺族年金、受給資格の男女差「違憲」 大阪地裁が初判断 (日経新聞 2013/11/25付) https://www.nikkei.com/article/DGXNASHC2501N_V21C13A1000000/ 

魚拓

高裁判決 (2018年5月3日追記 地裁の判断と高裁の判断の違いがよくわかるように書いてあります。 ※かなり判決文は長いです。)

 ここで知っていただきたいことは事情によって男性にも女性にも不利になりうることもありということを一つ知っていただきたいと思います。

4 結局はどんなふうに考えていけばよいのか?

 これらの判例を見ていただいたわけではありますが、結局はどんな点を中心に見ていけばいいのかというと

①基本的にはどんな事情や理由があり、それが具体的事実にのっとって差別かどうかを判断すべきであるかということ。(そして、具体的事実からは離れすぎる事情や状況は極力出さない。)
②特定の時代には差別ではなかったものであっても時代の変遷に伴って差別となることもある。
③平等というのは、特定属性に一方的に有利に働くことはなく、不利になったりもすることがあるということ。
④法律的な部分に触れるのであれば、どんな法律が適用されるか、法律の要件はどんなふうになっているのか?(もちろん、複雑なケースや条文がよくわからいこともあるでしょうから、わからない人は専門家の意見を参照にするなりしましょう。)

 この点さえわかれば、現代の差別論で言われている論理のどこが違っていてどこが正しいのかというのがわかりやすくなるでしょう。

 もちろん、色々な要素や事情を考え切ることは難しいことです。時間がかかることでしょうから、普通の人に多くを求めようとは思いません。ただ、今書いたようなことさえわかればそれほど大きく一般的な考えからは外れないと思います。
 基本的なことについてはここでしっかりと学んでおいて、他のところでなるべく正しく使えるように心がけてみてください。


 (2018年5月3日追記)

  何故か、遺族年金のことについて話題がでていたので私見を付け加えるべく追記を書いておく。

 一応、先の判例の方向としては男女の賃金格差を基に男女で差を設けながら運用している面があるのは指摘させていただいた通りであり、判例の考えも提示させていただいた。男性にも女性にもう有利不利な面があるということであり、決して片皿の天秤しかもっていないリベラリストであるからとかや、非対称性だとか意味の分からない理屈を用いたりしてこのような判断を下したのではないということは先に指摘しておこう。(判決文を読めばそんなことは書いてはいないのはすぐわかる。)

 確かに、現在においては確かに共働き世代も増えており、家庭の収入を担うものは男性だけではないとうのは変わってきている事実であるといえる。

 私としても、男性女性で一律に判断するよりもできれば個別的な家庭事情などを考慮してほしいという面はある。(ただし、現実的にどこまで個別事情を勘案できるかは微妙だとも思うが。)

 判断内容に考慮すべき点はあるかも知れないが、まだ男女の労働環境などの差があるという理由で、遺族年金の規定を合憲としている。

 だが、勘違いしてはいけないのは、裁判の流れにおいて時代の流れを必ずしも考慮していないわけではないことである。地裁では時代の流れを組み込み、性別で分けるのは不自然である者としっかりと判断しており、その後覆されたとはいえ、高裁以降も時代の流れの面を無視しているわけではない。

 将来的に社会進出が進むことによって制度変更もありえる。賃金の差がより縮まったりすれば、差別とされる余地は十分にあるのだ。 

 勿論、女性側や社会がそのように動かなければ動かないだろうが、それであるなら女性側にも一定の不利益を受けることは甘受しなければならないといえよう。(こういった意見が出るかでないかが、私とエセリベラリストの大きな違いといっていい。)

 遺族年金と女児の死亡時などにおける逸失利益の算定という双方の判例をしっかりと理解し、どちらか片方だけ見て判断を下すのはできればやめていただきたいものである。

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