瓶底メガネをかけた天然パーマの先輩

映研にM先輩という人がいた。
実家は大手の不動産屋で金持ち、瓶底メガネをかけた天然パーマのふてぶてしいツラがまえ、成績は良いらしいが性格に難があった。私たち1年生をアゴで使い、ヘマをするとゲラゲラと笑い物にするのを楽しみしていた。秋の文化祭が近くなった頃、そのM先輩が「次の土曜日に仕込みに行くから、手伝え」と勝手に三人を指名した。私もその一人だった。

さて土曜日、私たちは言われた通りに手提げ袋を用意して集まった。先輩の仕込みとは映画館からポスターをタダでもらい受けることで、それを文化祭で販売するつもりなのだ。だが、封切りポスターは売りものなのでタダでくれるわけはなく、古いポスターも他の高校や大学の映研部員が狙っていれば争奪戦となる。

先輩には秘策があった。

映画館の支配人にこう言うのだ。交通遺児支援の募金集めのためにポスターを譲ってください。「交通遺児へ愛の手を」と書かれたチラシを見せては「ご協力よろしくお願いします」と頭を下げた。すごい効果だった。どこの支配人も協力に応じてくれた。少ない時は「次は取っておくから、また来なさい」と言ってくれた。私たちの手提げ袋は次第にいっぱいになった。

私たち三人は顔を見合わせた。これは詐欺ではないだろうか?さすがに怖くなった。だが、先輩は何食わぬ顔でこう言った。「募金はちゃんとする、必要経費を差し引いて」。

六ツ門に有楽座という映画館があった。一人に手提げ袋を全部持たせて外に待機させ、先輩は私ともう一人を連れて中へ入った。支配人はハナ肇似の大きな目をした人で、チラシをしげしげと見ていたが、顔を上げてこう言った。
「俺もこれやったとよ」 
私は内心ヒヤリとし、思わず顔を伏せた。支配人の野太い声が続いた。
「あんたもそうね?」 
そう尋ねられた先輩はこう言った。
「僕はそうじゃありませんが、ここにいる後輩がそうです」
私は思わず顔を上げた。先輩の視線は私の隣にいるA君に向けられていた。先輩は淡々と続けた。

「こいつは中学の時に親父をひき逃げされて亡くしてるんです。下に弟や妹がいるから中卒で働くつもりだったそうですが、育英会の奨学金に助けられてこうやって今・・・。それで自分も誰かの役に立ちたいという気持ちでこうやって今・・・」

突然、A君が学生服の袖で目をぬぐい始めた。私は目を疑った。A君は本当に涙を流していたからだ。しかしA君には弟や妹ではなく二人の姉がいて、お父さんもピンピンしているはずだった。

支配人は「そげんかこつなら・・・」と奥へ行き、やがてポスターの山を胸に抱えて戻って来た。「久留米大学の学生に頼まれとったばってん、あんたらの方がよかけん、持っていかんね」

帰る道すがら、先輩が「おごっちゃるぜ」とうどん屋へ入った。「素うどん三杯、肉うどん一杯」と注文したので、自分だけ肉うどんかよと眉をひそめたが、それはA君に回された。「演技賞やね」と耳打ちすると、A君は「先輩の話ば聞きよったら、なんでか知らんばってん泣けてきたとよ」と鼻をすすった。

さて、文化祭では8ミリ映画を上映するすぐその隣の部屋ではヤミ競売(せり)がおこなわれていた。わざと暗くした小部屋に押し込まれた男子たちが、M先輩の懐中電灯で照らされた人気女優の半裸ポスターに激しく劣情していた。

M先輩の妙にこなれた啖呵売を聞きながら、この人は一体将来どういう人になるんだろうと興味を持った。翌年、先輩は早稲田大学に入学したが、地元に戻ったという話は聞かないまま実家の不動産屋はつぶれてしまった。

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