見出し画像

東京アースダイバー浅草編

梅雨の訪れを早くも感じさせる曇天の早朝、かつて海の底だった東京の下町を歩いている。

気が遠くなるほどどこまでも平らで真っ直ぐな道だ。
碁盤の目のような街は、スカイツリーがないといつもどこにいるか分からなくなる。

つくばの中心も平らで碁盤の目のようなので筑波山が目印だ。筑波山はいつも北にある。それで今自分がどこにいるかが分かる。

東京の下町も同様だ。下町素人にはスカイツリーが欠かせない。

平らでなのでランする人たちには良さそうなところだ。朝6時ごろから隅田川沿いを走ってる人を何人か見かけた。

あまりに道が真っ直ぐすぎて、街路樹も少ない下町の道は僕には少しクラクラするが、隅田川沿いは川に沿って道に少しくねっているのでよい。少しカーブがあったほうが走っていて楽しい。

6500年前ごろ、地球は暖かくて海の水面があがり(縄文海進という)、東京の下町は海の底だった。波に削られたからなのかは分からないけど、見渡す限り平らな大地は車の通行がなければ驚くほど静かだ。

ぼくは浅草にシェアハウスを借りていて、まだ何回かしかここを利用していないので、下町のこの静けさが何のかまだ分からない。町の賑やかさの話ではない。
でも千代田区や港区あたりの大地と違うことは明らかだ。

縄文海進が終わり、人が住み始めて時が経ち、隅田川のあるこの辺りは、きっと交通の要所として栄えたはずだ。この辺の歴史はよく分からない。

想像するに、川を使って、西からたくさんの文化がこの辺には運ばれてきたはずだ。
それで浅草寺もできたのだろう。

東の古い神社仏閣は大体川の近くにある気がする。
鹿島神宮や香取神宮もそうだ。

それから交易も行われるようになり、川を使って、西や東から色々なものが運ばれてきたのだろう。

筑波山からも鬼怒川や利根川から海を通って隅田川に入ってこの辺に石とか色々運んでいたはずだ。

隅田川沿いをそんな昔の事を想像しながら走るのはとても楽しい。

少し前に誰かが、ツイッターで、「クリエイティビティは頭に宿るのではなく、身体に宿るらしい」と呟いていた。

隅田川を眺めながら、スカイツリーを目印にこの辺を走る習慣をつけるのは、悪くないなと思った曇天の朝だった。

朝から浅草寺で大吉でた〜〜

令和元年5月13日
浅草にあるパンダハウスにて


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?