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空き地の秘密

僕がいつも歩いている通学路には空き地がたくさんある。マンションや駐車場にするための土地が数えただけで十もある。お父さんが言うには、昔は畑や田んぼが広がるのんびりした場所だったそうだ。

今ではそんなことは想像もできない。新しい建物を作る工事の音がひっきりなしに聞こえてくる。地面を砕くドリルの音、ダンプカーが走り去る音がうるさくて、朝から頭が痛くなってしまう。そんな道を学校まで歩く。

春の暖かさが感じられる一日だった。工事中のところを通りすぎて、少しだけ静かになった。そのときだ。空き地から動物の鳴き声が聞こえてきた。にゃあにゃあと鳴く子猫の声だった。それを聞いているうちに、子猫が気になって我慢ができなくなってしまった。     

一限目の授業は大嫌いな算数だ。このまま学校に向かってもいいことがない気がしたから、せめて子猫を見てから学校に行こうと思ったのだ。

舗装されたコンクリートの道を外れて空き地に入っていく。緑色のスパゲッティーみたいな細長い草が風に揺れている。おとといの雨でできたぐちょぐちょのぬかるみを避けながら進んでいく。子猫の声が近くなる。地面が盛り上がり、土地が一段ほど高くなったところを登りきると、砂利が敷き詰められた空間にでた。真ん中あたりに置かれた段ボール箱に子猫が三匹入っていた。

白黒模様のぶちと茶色が混じったみけ、それにねずみ色が僕を見上げてにゃあにゃあと鳴いている。段ボール箱にはタオルと水を入れたお皿があった。誰かが世話をしているのかと思ったのだけど、どこを探しても餌はないし、タオルはおしっこで汚れて黄色くなっていた。しばらく取り替えられていないようだ。あたりを見回して、親猫がいないかを確認する。いない。飼い主らしき人も見当たらない。

「捨てられたの?」

子猫たちに声をかける。返事はにぁあだ。

「お腹はすいてない?」

またしても返事はにゃあ。僕はぶちを抱き上げて、怪我をしていないかを調べる。ひっくり返してお腹を見たり、尻尾を持ち上げたり、足の裏を押したりした。嫌がって逃げるかと思ったけど、ぶちはこちらをじっと見つめておとなしくしていた。僕が調査をしている間、残りの子猫たちは心配そうにぶちを見ていた。

「大丈夫だよ、痛いことはしないから」

そう言ってから、みけの頭を撫でてやる。みけは僕の手をざらざらした舌で舐めた。子猫たちは元気そうだった。捨てられていたけど毛並みはわるくない。

ふあふあの体を触っていると学校に行くのがおっくうになってくる。草を一本ちぎって猫じゃらしを作った。それを目の前で動かすと三匹は飛び上がって手を伸ばした。ランドセルを枕にして、このまま一緒に昼寝をしたいくらいだ。そんなことを考えていたら学校のチャイムが鳴った。しまった、遅刻する!

「ごめん、これから学校に行くんだ。もう遊べないよ」

子猫たちにそう言うと、僕の残念な気持ちが伝わったように、みんなが寂しそうな顔をした。猫じゃらしを段ボール箱に残して、何度か後ろを振り返りながら学校へと歩いていった。ずいぶんと空き地から離れたはずなのに、まだ鳴き声が聞こえてくる気がした。

子猫たちのことを考えてぼんやりしていたら、あっという間にお昼になった。給食のおいしそうなにおいがする。班ごとに机を並べて、全員が席について食べ始めた。そのときに僕はひらめいてしまった。

給食を子猫たちに持っていってやろうと思ったのだ。水しか飲んでないから、きっとお腹をすかしているはずだ。食べかけの食パンを我慢して、おかずの唐揚げを食べずにとっておいた。スープも食べさせてやりたかったけど、入れ物がない。

けっきょく僕が持っていけそうな食べ物は食パンが半分と唐揚げが二個だった。それらをこっそりとティッシュに包んでランドセルに入れる。でもこれだけだとすぐになくなってしまう。なんたって三匹もいるのだ。少ないなぁと考えているときに風邪を引いて休んだ鈴木くんの給食が目に入った。これだ! と僕は思った。鈴木くんの給食をもらって帰ろう。そうすれば三匹が食べられるだけの数が揃う。

問題はこれまで休んだ人の給食を持って帰った人がいないことだ。僕が急にあまった給食を欲しがったら、先生もクラスのみんなも変に思うだろう。理由を話しても、先生は野良猫に給食をあげることに反対する。

タイミングは一度だけ。自分のお盆と容器を返すときに、こっそりと唐揚げをポケットに詰め込んだ。教室をぐるりと見回す。みんなはおしゃべりに夢中だし、先生は連絡帳を見ている。よし、誰にもバレていない。僕はそのまま教室を出て、トイレに行くふりをした。心臓がどきどきしている。歩き方がぎこちなくないかを気にしながら、廊下を左に曲がろうとしたときに、後ろから名前を呼ばれたのだ。僕はびっくりして、ウピャっという変な声で叫んでしまった。

「その唐揚げをどうするの?」

振り返ると山田さんが立っていた。僕はごくりと唾を飲み込んだ。

「唐揚げって何のこと?」

「とぼけても駄目よ、あたし見ていたんだから。唐揚げをポケットに入れるところ」

知らないふりをしようと思ったけど駄目だった。見られていたなら嘘をついても仕方がない。僕が心配していることは先生に止められることだ。山田さんが先生に言わずに黙っていてくれればいいのだけど。

「先生には言わないで欲しいんだ。これにはちゃんと理由があるから」

僕は子猫のことを話そうと思った。秘密にしておくことではないし、全然関係のないウワサに変わってしまって、それが広がるほうが大変だ。例えば僕が食いしん坊で、休んだ人の給食もこっそり食べているらしい、なんて話が広まったら困る。

「猫は好き?」

不思議そうに僕を見る山田さんの顔が、もっと不思議になった。僕だって何も知らなかったら唐揚げと猫に何の関係があるのかさっぱりわからない。頭の中で唐揚げと猫がくっついたり離れたりして、ぐるぐるまわり始めてわけがわからなくなるだろう。

「好きだけど、それがどうしたの」

好きという言葉を聞いてほっとした。もしかしたら山田さんは秘密を守ってくれるかも知れない。

「子猫を見つけたんだ。しかも三匹も」

誰にも聞かれないようにひそひそ話をした。山田さんは僕に合わせて、えーっと静かに驚いた。

「捨て猫だよ、学校の途中にある空地で見つけたんだ」

「あたしも見たい」

「いいよ、帰りに見に行こうよ。この唐揚げはその猫たちにあげるんだよ」

放課後に校門で待ち合わせをする約束をした。もちろん誰にも秘密だ。僕は仲間ができた気がして嬉しかった。授業が終わってから二人で空地に向かう。高くなった土地を登りきると、朝と同じように段ボール箱が置かれていた。あれだよ、と指差して箱を覗く。思わず、えっと声がでた。

「どうしたの?」

山田さんも段ボール箱を覗く。残っていたのはタオルとお皿だけ。子猫たちはいなくなっていた。

「本当に朝は猫がいたんだ。どこに行ったんだろう」

草むらを探したり、おーいと呼びかけたりしたけれど見つからない。不安が沸き上がってきた。

「近くを探して見ましょうよ。まだあたりにいるかもしれないわ」

僕たちは手分けをして探した。でも見つからない。車にひかれたり犬に襲われたりしていないだろうか。そんなことを考え出すと、たまらなく悲しくなった。

学校に行かずに一緒に遊んでいればよかったのだ。ランドセルに給食の残りが入っていると思うと、さらに悲しくなった。あちこち探してみたけれど、けっきょく見つからなかった。もしかしたら、また戻ってくるかも知れないと思い、食パンと唐揚げを置いて帰った。

次の日も学校に行く前に空地に行ってみたけれど、食パンも唐揚げもそのままになっていた。昨日作った猫じゃらしを拾い上げて、子猫たちが遊んでいたときのことを思いだしていた。毎日のように空地に通った。でも子猫たちは帰ってこなかった。

それからしばらくして、山田さんが子猫たちは元気にしていると教えてくれた。僕は教えられた通りにお母さんがよく買い物をするスーパーの入り口に行った。そこには猫の飼い主を探す貼り紙がしてあった。あの可愛らしい三匹が口を大きく開けてあくびをしている写真を見て、僕はやったー!と叫んだ。

「今度の算数のテスト、百点だったらなんでも言うことを聞いてあげるわ」

お母さんの話を思い出した僕は、とっておきのわがままを叶えるために急いで家に帰って勉強を始めた。珍しいわねぇと感心するお母さんに向かって、約束は守ってもらうからね、と自信満々に返事をした。

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