もう一つの聖地産田神社(1)ー古代の祭祀場所

産田神社は「うぶたじんじゃ」と読みます。「産田」とは「産所」。イザナミがカグツチを産んだ場所ということです。イザナミは火の神カグツチを産んだことで火傷して亡くなり、それを嘆いたイザナギがカグツチを斬殺し、イザナミとカグツチを葬ったのが「花の窟」ということになります。この伝承は『日本書紀』には書かれていませんが、イザナミの墓の伝承を元にカグツチを産んだ場所として設定されたものです。
私は残念ながら産田神社にはお参りしておりません。今回このブログを書くにあたり調べていて「しまった!」と思いました。以前花窟神社を訪ねた時にしっかり調べておけばよかったと反省しています。ただその時は産田神社のことを全く知らなかったというのが実情です。私の新宮の知人はたびたび産田神社にお参りしています。そういう訳で、個人的な反省を込めて皆さんに「もう一つの聖地産田神社」をご紹介したいと思います。
神社の案内板には次のように書かれています。「産田神社の祭祀遺跡 (熊野市指定文化財 史跡) 産田神社は弥生時代からの古い神社で、伊弉冉尊(いざなみのみこと)と軻遇突智神(かぐつちのかみ)を祀っている。日本に米作りが伝えられた頃からあったと考えられており古い土器も出土する。古代には神社に建物がなく、『ひもろぎ』と呼ばれる石で囲んだ祀り場(祭祀台)へしめ縄を張り神様を招いた。この神社の左右にある石の台がそれである。日本に二箇所しか残っておらず大変古くて珍しい」とあります。
「ひもろぎ」は漢字で「神籬」と書きます。ウィキペディアの説明によると、「ひ」は神霊、「もろ」は天下るの意味の「あもる」の転訛、「き」は木の意味で、神霊が天下る木、神の依り代とされる木の意味とあります。したがって本来の「ひもろぎ」は「木」ということになります。神社に参拝しますと注連縄の張られた大きな木を見ます。御神木です。あの大木に天から神様が降るということになります。しかし産田神社の「ひもろぎ」は木ではありません「石」です。ネットの写真を見ますと、社殿の左右に石の台があり、丸く平たい石が並べられています。降臨した神霊に祈りを捧げたことから「ひもろぎ」ではありますが、こういう形を磐境(いわさか)と言います。これは平らな石ですが、それがいかにも神霊が宿りそうな巨岩の場合は「磐座(いわくら)」と言います。神霊は木にも岩にも天下ります。この案内板に「日本で二箇所しか残っていない」とあります。一箇所はもちろん産田神社ですが、もう一箇所がどこか書いてありません。これは私の想像ですが、もう一箇所は北九州市八幡西区にある一宮神社ではないかと思います。ここには神武天皇が祭祀を行った磐境があります。神武天皇は熊野と縁が深いです。一宮神社は昭和25年(1950)に、大歳神社、諏訪神社が王子神社に合祀され、一宮神社となりました。したがって磐境があるのは旧王子神社です。王子神社は熊野権現の王子ではなく、祭神の神武天皇に由来します。ここは神武天皇が大和に向かう途中に滞在した岡田宮だと言われています。
産田神社も旧王子神社の磐境も古代の祭祀遺跡です。

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