八咫烏は下鴨神社の主祭神

八咫烏イコール賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト、カモタケツノミノミコト)を祀る神社として奈良県宇陀市の八咫烏神社と和歌山市の矢宮神社を紹介しました。実はこの両社よりもはるかに知名度の高い、ユネスコの世界遺産にも登録されている京都市の下鴨(しもがも)神社の主祭神も賀茂建角身命です。
下鴨神社は正式名は「賀茂御祖(かもみおや)神社」といい、「御祖」とあるように賀茂県主氏(かものあがたぬしうじ)の祖先を祀っていることを表しています。そしてその祖神が八咫烏こと賀茂建角身命です。京都市左京区下鴨泉川町(しもがもいずみがわちょう)59にあり、糺の森(ただすのもり)と呼ばれる広大な神域の中に鎮座します。下鴨神社の北西にあたる北区上賀茂本山(かみがももとやま)339にある賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社と呼ばれます)と共に「賀茂社」と総称されています。非常に格式の高い神社であり、明治時代に制定された近代社格制度において、伊勢神宮は別格としてそれに次ぐ官幣大社の筆頭とされました。『延喜式神名帳』では、「山城国愛宕郡(おたぎぐん)賀茂御祖神社二座」として名神大社(みょうじんたいしゃ)に列しています。二座とありますから、二柱の祭神が祀られています。東本殿には玉依媛命(タマヨリヒメ)、西本殿には賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト、下鴨神社の表記)が祀られています。二つの本殿は国宝に指定されています。本殿は南向きということは、天子南面からすれば向かって右側(天子からすれば左側)の方が上座になります。タマヨリヒメの方が格が上ということになります。神社側ではそのような説明はありませんが、一般論から言うとそういうことになります。玉依媛命とはどういう存在かというと、賀茂建角身命の娘で、上賀茂神社の祭神であるワケイカヅチの母になります。賀茂県主氏はワケイカヅチを氏神として上賀茂神社に祀り、そして自分たちの先祖であるタケツヌミとタマヨリヒメを「御祖」として賀茂御祖神社に祀っていることになります。ちょうど本願寺が、本尊である阿弥陀如来を阿弥陀堂に祀り、大谷家の先祖であり宗派の開祖の親鸞上人を御影堂に祀っているのと類似しています。
下鴨神社の創祀について神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨し、崇神天皇7年に神社の瑞垣が修造されたとの記録があるため、この頃に創建されたとの説があり、また奈良時代の天平年間(729~749)に上賀茂神社から分けられたとの説があります。もともとは同じ場所に氏神と祖先神が祀られていたのを分離したということだと思われます。これについてはあらためて述べることにします。
祭神であるカモタケツヌミが降臨した御蔭山(みかげやま)の麓には下鴨神社の境外摂社の御蔭神社があります。また上賀茂神社の祭神であるワケイカヅチが降臨したのは神山(こうやま)で、場所が同じではありません。
なお下鴨神社の文献上の初見は『続日本後紀』承和15年(848)とされています。
『続日本後紀(しょくにほんこうき)』は六国史の四番目で、仁明天皇の天長10年(833)から嘉祥3年(850)の記録です。
下鴨神社の祭神が降臨した御蔭山の麓にある御蔭神社では葵祭の前に「御生(みあれ)神事」という重要な祭儀が行われます。次章以下に紹介します。


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