速玉大社の祭神と本地仏

速玉大社は朱色が鮮やかな社殿に目を見張ります。本宮は地味ですがこちらは派手。権現を名乗る神社は日光東照宮に代表されるように派手な神社が多く見られます。力強く神のパワーを表しています。実は速玉大社も明治に災害に遭っています。本宮は水害でしたが、こちらは火事。本宮よりも早い明治16年(1883)に打ち上げ花火が原因で焼失します。ただこちらは移転せずに昭和42年(1967)に再建されました。速玉大社には国宝の古神宝が所蔵されていますが、こちらは無事でよかったです。拝殿の正面が第二殿速玉宮、向かって左隣が第一殿結宮、速玉宮と右隣の上三殿の間に奥御前三神殿、上三殿の右隣に八社殿という配列になります。第一殿結宮の祭神は熊野夫須美大神(熊野結大神)、千手観音。第二殿速玉宮は主祭神の熊野速玉大神、薬師如来。上三殿に第三殿、第四殿、神倉宮が祀られています。第一殿から第四殿及び神倉宮を上四社。第三殿は証誠殿、祭神は家津美御子大神と国常立尊(クニノトコタチノミコト)、阿弥陀如来。第四殿は若宮、祭神は天照大神、十一面観音。神倉宮は祭神は高倉下命(タカクラジノミコト)、愛染明王(あいぜんみょうおう)。向かって一番右にある八社殿には中四社(第五殿から第八殿)と下四社(第九殿から第十二殿)が祀られています。第五殿は禅児宮、祭神は天忍穂耳尊(アメノオシヲミミノミコト)、地蔵菩薩。第六殿は聖宮、祭神は瓊々杵尊、龍樹菩薩。第七殿は児宮で、祭神は彦火火出見尊、如意輪観音。第八殿は子守宮で、祭神は鵜葺草葺不合命、聖観音。第九殿は一万宮、祭神は国狭槌尊(クニノサツチノミコト)で、文殊菩薩、十万宮は豊斟渟尊(トヨクモノノミコト)で、普賢菩薩。第十殿は勧請宮(かんじょうのみや)、祭神は泥土煮尊(ウイジニノミコト)、釈迦如来。第十一殿は飛行宮(ひぎょうのみや)、祭神は大戸道尊(オオトノジノミコト)、不動明王。第十二殿は米持宮(よなもちのみや)、祭神は面足尊(オモダルノミコト)、多門天。さらに奥御前三神殿には、天之御中主神(アメノミナカヌシ)、高皇産霊神(タカミムスヒ)、神皇産霊神(カミムスヒ)が祀られています。これら全てを新宮十二社大権現と総称します。新宮節にも「新宮よいとこ十二社さまの、神のまします良いところ」と唄われています。速玉大社の祭神についてはウィキペディアを参考にしました。本宮と比べた場合、まず祭神の数が多いです。上四社では、第三殿に国常立尊が祀られ、第四殿には神倉宮として高倉下命が祀られています。ウィキペディアには高倉下命の本地仏はないとありますが、別の資料には愛染明王と書かれています。さらに奥御前三神殿として三柱の神を祀っています。中四社では神名の表記が違っています。最も大きな違いは下四社です。まず祭神が全く違います。第九殿は本宮では一万十万として一柱ですが、こちらは二柱になっています。本宮に比べると第十殿から十二殿の配列が異なり、宮の名前も短くなっています。本宮では毘沙門天ですが、こちらは多門天(たもんてん)。一般には多聞天と表記され、毘沙門天の別名で、毘沙門天は七福神の一尊でもあります。速玉大社の祭神は日本神話における造化三神(ぞうかさんしん)、天神七代(てんじんしちだい)、地神五代(ちじんごだい)と言われる神です。造化三神は、いわゆる天地開闢(てんちかいびゃく)の時に最初に現れた神です。それが奥御前三神殿に祀られています。日本書紀では、「皇産霊をムスヒという。」とあります。ムスヒは結宮の結と同じで、神の霊力により、新しい生命が生まれるということです。また結ぶという言葉には、縁結びのように別個の存在であったものがつながりを持つということの意味もあります。造化三神とウマシアシカビヒコジとアメノトコタチ(どちらも速玉大社の祭神ではありません)の5柱の神を総称して別天津神(ことあまつかみ)と言います。天神七代は初代がクニノトコタチ(国常立尊)、2代目がトヨクモノ(豊斟渟尊)。アメノミナカヌシからトヨクモノまでは、性別のない独り神。両性具有かもしれません。ここからはペアです。3代目がウヒヂニ(泥土煮尊、男)とスヒヂニ(沙土煮尊、女)、4代目がツノグヒ(角杙尊、男)とイクグヒ(活杙尊、女)、5代目がオホトノジ(大戸之道尊、男)とオホトマベ(大苫辺尊、女)、6代目がオモダル(面足尊、男)とカシコネ(惶根尊、女)、7代目にイザナギ(伊弉諾尊、男)とイザナミ(伊弉冉尊、女)。天神七代の最後に新宮の主祭神が登場します。地神五代は、速玉大社の第四殿の天照大神から第八殿のウガヤフキアエズノミコトまで。神武天皇からは人皇(じんのう、にんのう)と呼ばれ、日本書紀でも神代とされるのはウガヤフキアエズまでです。神武天皇からは人の代になります。天神七代と地神五代を合わせると十二になります。各地に十二所神社があり、祭神を天神七代地神五代としている所がありますが、そのルーツをたどると熊野十二所権現に行き当たり、明治の神仏分離で祭神を確定するにあたり、天神七代地神五代としたケースが見られます。十二社を名乗る神社は熊野信仰がルーツである可能性があります。神倉宮の祭神の高倉下命は神武天皇の大和入りに際して重要な役目で登場します。それは別の機会にご紹介します。なお高倉下命は新潟県にある越後国一宮弥彦(やひこ)神社の祭神天香語山命(アメノカゴヤマノミコト)と同一だとも言われています。


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