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結局はプロダクト勝負なのではないか

スシロー五反田店に行った。寿司が美味かった。

コスト (待ち時間と価格) と「いただきます」から「ごちそうさま」までのユーザー体験のバランスだと思うが、結局は美味い寿司を食べることができるかが足を運ぶ原動力の本質だと思う。

ちょっと前までは、埼玉の片田舎に住んで身としては回転寿司と言えば、かっぱ寿司だった。家族で楽しみにお寿司を食べていた頃が懐かしい。しかしながら、記事にある通りかっぱ寿司は後続の寿司チェーンに退けられてしまっている。

何が、明暗を分けてしまったのか。東京ではスシローに、実家ではかっぱ寿司に行くが、やはり違うのは寿司そのものの美味しさだと思った。サイドメニューが充実している、予約システムや店内の設備が充実しているなど他に優位性もあるが、やはり一番大事なものはお寿司屋さんに行ってるのだから、美味しい寿司を食べたい。

ここまで寿司の話をしてきたが、言いたいことはタイトルにもあるように「結局はプロダクト勝負なのではないか」ということ。それが会社の明暗を左右すると思った。

もちろん、美味しいお寿司屋さんだったとしても待ち時間が長かったり、店員さんの対応が最悪であったり、べらぼうに高かったりしたら、リピートはないかもしれないが、本質的には寿司が美味しくなければリピートはないと思う。

スシローで美味しい寿司を食べながら、大きな市場の中で、企業としての体力があって勝負することができるならば、本質的な価値をユーザーに対して愚直に届けつづけることが大事だと思った。当たり前だと思うが、何よりも大切。プロダクトを改善しつづければ、いつかはユーザーが気が付いてくれて、復活の狼煙をあげることができると思う。そこまでは歯を食いしばって、良いプロダクトを届けることに集中する必要がある。

インターネット上に公開されているプロダクトは瞬く間にコピーされて、市場はすぐにコモディティ化した機能的価値が同じプロダクトが乱立する時代において、情緒的な価値が大事であり、ユーザー体験全体を考えたプロダクトを創る必要があると叫ばれている。確かに情緒的な価値も大切であると思うのだが、愚直に本質的な良さを追求したモノをユーザーに提供しようと貫き続けているプロダクトが強いと思う。良いプロダクトを創りたい。

※ サムネイルはスシローの寿司ではありません。すみません。

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