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初期チバユウスケの歌詞の魅力(1/3)

チバユウスケが逝去した。

何ヵ月も前のことだが、もういないという事実がそのままずっとそこに在り続けている。もういない。でも、月並みだけど、その音楽は残り続けている。そして今更言うまでもなく、その音楽と声は滅茶苦茶カッコいい。語るべきものが残されている。だから……BUCK-TICKの時とおなじで、音楽について書きたい。すでに沢山語られているし、更にもっとたくさん語られていってほしい。

自分も書きとめておきたい。「初期チバの歌詞の魅力」、「ミッシェル末期」、「ROSSOやThe BirthdayにSNAKE ON THE BEACH」のこと……3つほどの記事に分けて書こうと思っている。

誰かが語ったり、思い出したり、馳せたりするキッカケになれば幸いです。

今回は初期チバの歌詞の魅力についての雑記です。



チバユウスケの書く歌詞が好きだった。

一番好きなのは"初期ミッシェル"の頃だ。作詞スタイルとしての"初期"はどこまでか。難しいところだけど、個人的には『ギヤ・ブルーズ』('98)リリース前までだ(アベフトシ加入前は黎明期としよう)。『ギヤ・ブルーズ』が過渡期で、『カサノバ・スネイク』から明確に作詞スタイルのデフォルトが変わったと感じる。

その歌詞の魅力は沢山あるけど、自分は特に「人懐っこい感じ」と「ある感覚を見知らぬ言葉遣いで言い当てる感じ」が大好きだった。


「人懐っこい感じ」

■バランス

例えば『バランス』。1995年にリリースされたミニアルバム『wonder style』の収録曲だ。

歌詞を軽くみてみよう。

バランスを上手く取りなってあの子は叫ぶけど
バランスを上手く取りなってあの子は囁くよ
自転車に上手く乗れない 自転車に上手く乗れない

バランスを上手く取りなって右から笑い声
バランスを上手く取りなって左ですすり泣く
自転車に上手く乗れない 自転車に上手く乗れない

どうやら主人公は""自転車""にうまく乗れず、あの娘からアドバイスされている。「自転車に上手く乗れない」とかいうフック。まずこの時点で面白い。しかも「あの娘」は叫んだり囁いたりしている。2人に挟まれているのだろうか、右からは笑い声、左からはすすり泣きが聞こえるらしい。その中で自転車にうまく乗れない主人公。もう大分面白い。

そしてここが初期チバの真骨頂だと思うのだけど、主人公はこの状況に対して最終的にこう歌うのだ。

バランスなんていらない 乗れないものはいらない

自分が出来なかったものについて、「バランスなんていらない」「乗れないものはいらない」と、いうなればフンッと"拗ねる"のである。

これが自分にとって驚きだった。

だって自分が聴いてきた音楽が「上手く出来なかった」ことをテーマに歌うなら──・・・

──きっとThe Smithsのモリッシーなら、自分がうまく出来なかったことに「うまくやりなって」とか言ってきた奴らに対して、知性のすべてを動員した辛辣な皮肉をあびせにいくだろう。ジョニー・マーの流麗なアルペジオがその高貴な下世話を麗しく覆うのだ。

──おそらくSyrup 16gの五十嵐隆なら、自分が世界へ馴染めなかったすべて、自己嫌悪や劣等感の記憶として人生へ永遠に刻印されるだろう。ニューウェーブの不健康さがオルタナと化学反応して吐血されるのだ。

──あるいはArt-Schoolの木下理樹なら、無力感を昇華した陶酔として「うまく刺さらなくて彼女はただ叫んでたっけ 光に包まれ……」とか書き出すだろう。グランジの静と動のコントラスト、美しく汚れた歪みがその飛躍を納得させるのだ。

明らかに爽やか

例えが偏りすぎだが、それにつけて、チバの態度は何というか駄々っ子だ。「末っ子」の感じがする。「知らないもん!もういいもん!」と拗ねる、つまり甘える感じ。その感覚がとても好きだった。ロックンロールによくある「彼女はグッドだぜ」なんて歌詞よりよっぽど共感できたし、先の3人よりずっと健康的で、不思議な等身大の魅力がそこにあった。どこか病んだニューウェーブ・オルタナ・グランジからのアップデートを感じられたのだ。

それがカラッとした痛快なガレージロックで鳴らされる!7thとsus4のブルーズ感覚──悲喜を決める3度の色合いのうすいコード感が、新鮮に彩られた気がした。


■I was walkin' & sleepin'

この魅力がよく現れているのが『I was walkin' & sleepin'』だと思う。

ポップでキュートにスウィングするリフに乗せてこう歌われる。

話しかけないでくれ 
電話しないでくれ
笑いかけないでくれ
今言ったことは忘れておくれ

声をかけておくれ
たまには電話をくれ
笑顔を見せておくれ
ほっておいてくれ

普通だよって言ってくれよ
毎日だって言ってくれよ

どっちだよ。たぶん本当に話しかけてほしくないし、話しかけてもほしいし、自分でもどうしてほしいのか分からないんだろう。友達や恋人がこうなったらいちばん面倒くさいタイプの状態だが、人間的な魅力にあふれている。建前と本音が行き来している歌詞は、桑田佳祐の名曲『可愛いミーナ』のラストにもみられるんだけど、なんだか素直なキモチって感じがして自分の琴線にふれる。

ともかく、初期チバユウスケの歌詞は後期のイメージとは真逆で明らかに「人懐っこい」。チャーミングである。


「ある感覚を見知らぬ言葉遣いで言い当てる」

チバの歌詞は、シュールだったり、何となく崩壊気味の世界でのクレイジーだったり様々ある。一番センスを感じるのは、生活の中のある感覚を見知らぬ言葉遣いで言い当てるような歌詞だ。

■brand new stone

心地よい風が吹くガレージ・パワーポップだが、ここがすごい。

うんざりを焼いたらビニールの溶ける匂い吸い込んで細かくなれる

チバワールドとしか言えないセンテンス。まずウンザリは焼ける。焼くとビニールの溶けるにおいがする。それを吸いこむと細かくなれるのだ。

この謎の概念。
あきらかに想像力のカプセルを飲みこんでいる。安部公房の息子かなにか。

もちろんこういうのはメロディの語呂合わせから生まれてくるものだろう。でもチバの作詩センスでグッとくるのは、最後に「全力疾走の木々眺めながらじゃり道を歩く ビニールのにおいがする」と敷いて、間接的にウンザリを焼いてみせるところだ。いや分かっている、論理式がおかしい。だけど音楽のマジックで結ばれていると思う。ウンザリなんてもんはなぁ、全力疾走の木々(?)眺めながらじゃり道を歩いてれば知らんうちに焼けてんだよ!

2回登場する「カラカラと音たてる」。行きと帰りで、きっとその響きも清々しく鳴り変わってるんじゃないだろうか。brand new stone──カラカラと音をたてて転がった石は、なんとなくカラカラ舞い戻って、なんとなく真新しい石──の気分になったんだろう。


■ブギー

いつ終わるかしれない道を延々と歩かされているように、乾いた循環コードがかき鳴らされ続ける名曲。繰り返しの中で蠢くベースラインがまた良いんだよね。後期に連なる無常感をもった曲だが、ここでは視点が明らかに違う。だって全部主人公の独り言だ。景色がほとんどない。

ずれたままで行った
前より遠かった
はやくもない おそくもない
髪は伸びすぎた
切らなくちゃ 切らなくちゃ
目の前をチラチラ

フラフラ咲いて カラカラ鳴いた
繰り返すんだろう
フラフラ咲いて カラカラ鳴いた
誰のせいなんだろう

漠然と世界全体に追い立てられていて、何かを間違えている気だけが確かな感じ。なんとなく、一番良い時の五十嵐隆と奥田民生を足して2で割った感性を感じる。このあとに続く「何が何でどうだ」なんてぶっきらぼうすぎる歌詞だが、投げやりな、でも投げきれないもどかしさが、五十嵐のごとく伝わってくる。ラスト4行、「それでまた続いてくだろう それでまた繰り返すだろう これは誰のせいなんだろう それはわかってるんだろう」のライン。「なんだろう」を繰り返しながら、しんしんとただ現実を受け入れていく様はすごく民生っぽい

そして数あるフレーズの中でも一番ハッとするのはここ。

はりついたウルサイが音無しで回るんだ

これはチバ独自の感性だ。何を言ってるか分からないのに何を歌っているのか直感で伝わる名詩。


他にもいっぱいあって、ここでは書ききれないけど、改めて素晴らしい作詞家、ボーカリストだと思う。


「ランドリー」にあったもの

最後に一曲。ここまで見たような「人懐っこい感じ」と「ある感覚を言い当てる」の結晶として『ランドリー』がある。名曲が詰まったカップリングコンピ『RUMBLE』の中でもほんとうに大好きなのが『カーテン』と『ランドリー』だ。聴いてて、なんて気持ちのいい歌とバンドなんだろう!といつも感じ入ってしまう。生演奏のフィーリングがバッチリ収められたギター、やかましいドラムのシンバル、ギターとドラムの間を食らいつくベース……そしてチバの歌詞と声だ。

ここにはTHE HIGH-LOWSのバイブスにも近いものがある。全てに対して深刻にならず、エイヤッと放り投げてみせる感じだ。最近のバンドだと、家主にも似たものを感じているので、ぜひ聴いてみてほしい。

うずまいてたから腕いれた
空気ためこんでにじませよう
くたばりかけてた三日月を
他人が見てたから手を振ってやった
バルブひねって白で追い払え バルブひねって白で追い払え
色が落ちてもそれで構わない
色が落ちてもそれで構わない

ロックンロールの至上命題は「It's alright」をどう歌い鳴らすかである。「色が落ちてもそれで構わない」。『ランドリー』はチャーミングなベストアンサーのひとつだろう。



ここまで1997年。このあとミッシェルは、チバユウスケは、異常なまでのテンションと熱気を携えて、焦燥にかられた世紀末フィクションの世界へ突っこんでいく。『ランドリー』にあったフィーリングはなくなっていってしまった。もちろん幾多の伝説がその狂乱とカオスから生まれたのだ。だけど自分はどうしても、このカラッと全てを歌い飛ばしてしまうようなバンドの、初期チバの佇まいが本当に魅力的だったと思うのである。


次回は混迷を極めていったミッシェルの最後期、『SABRINA NO HEAVEN』と『THEE MOVIE』で流れる『 Girl Friend』の話とか。10年ぶりにFC2ブログのTMGE記事を更新したい。

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