ややこしいけど、難しくない。

ボクがむかしから気付いていたことである。
が、気付いていても、それを忘れることもよくある。
それがしっかり解っていて、「ややこしいこと」をこなすことができれば、
その人は、「難しいと人が思うこと」ができて、
「頭がいい」と勘違いされ、よい評価を受けるのだろう。

「ややこしいこと」をやり抜くには、我慢が必要だ。
簡単に諦めがちであるが、それではいつまで経っても、
それに勝てない、成長しない。

人に認められるということは、それだけ我慢したということか、
もしくは「ややこしいこと」にもやり方があることに気付いた人であろう。

ボクもその中の一人になりたいものだ。
すぐに「GIVE UP」するから、「ややこしいこと」は苦手だ。
でも成長するためには、「やり抜く」か「理解する」ことが必要だろう。
これを書きながら気付いたから、これからは大丈夫(?)だろう。
(ボクは書きながら気付くタイプである。ゆえに脱線する。)

これを読んでいる方も、同じように考えれば、成長できるかも・・・

「頭の良さ」と「粘り強さ」が同じではないと思う。
人はそれを同じと考えがちだが・・・

本当に頭のよい人とは、どんな人なのだろう?

ボクの知り合いに「東大法学部」に3年まで通った人がいる。
彼は精神疾患のせいで、リタイアしたようだ。
彼の理解力・記憶力は、たしかにすごい。
だが彼は自分の兄には勝てないと言う。
お兄さんは彼以下の学歴らしい。
彼はお兄さんの「人並みのことを続ける」ことが、自分にはできぬゆえ、
「自分は兄より劣る」と言う。

人は学歴で評価する傾向にあるようだ。
学歴を重視した考え方が尊重される世の中だから仕方がないのだろう。
前にも書いたが、初対面の人と話をしても、
「自分の学歴にコンプレックスを持ってる人」が多い。
というか、そんな人ばかりである。
ボクのように「もし違う年に生まれていたら・・・」と考える人すらいない。

学歴も、「ややこしいこと」を諦めずにやった人はよいのではないか?
諦めが早かったり、得意分野にしか力を入れない人は、
学歴にもそれが顕著にあらわれるのだろうと思う。

学歴社会とはいっても、根性が試されるものでもあるのだろう。

では「難しいこと」とはなんだろう?
ボクはいまそれが思い出せない。
ボクは記憶する能力が弱いけど、
おぼえたら使いこなせるタイプだと思うから、
時間をかけてでもおぼえようとしている。
そうしているから、「難しいこと」も、さほどない。
だからいま、「難しいこと」が思い出せない。

面倒だったり、やる気が出ないときも「難しい」ように考えがちだ。

考え方一つと気付いたとき、人生が変わったのかな。


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ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。