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就労支援センターにて・・・

「アンサンブル江ノ島」という浜松市の南部の建物・1階にある
「ふらっと」に行くようになったのは、ハローワークで勧められたから。
高校時代の先輩がハローワークに勤めていて、勧められたのだ。

まだ出来たばかりの福祉協働センターには、いくつかの施設があった。
「ふらっと」は女性二人が主になって、運営していて
障害のある人もスタッフとして参加していた。

在籍期間はどのくらいだったろう。
作業をしたり・カウンセリングを受けたり・イベントをしたりと
楽しいときを過ごさせてもらった。

外へ足を伸ばして、食事に行ったり
いろんな競技に参加したりもした。
カラオケやラーメン屋に行くのはよくあった。

「ぺタボード」という「カーリング」に似た競技に出たこともあったが
「カーリング」同様、作戦が鍵を握る競技ゆえ、一筋縄にはいかなかった。
操作も思うようにいかず、運まかせのようなところもあり
逆にそこが面白かったのでは、とも思えるくらいだ。

それ以外で、人気があったのはソフトボール大会だ。
「ふらっと」だけでは、人数が足りなかったので
「アンサンブル江ノ島」の2階の「ポコ・ア・ポコ」というところと
協力して合同参加することが多かった。

そのソフトボール大会で、ボクは「ヒーロー」なったことがある。

点数的にも試合内容も、特別なところは何もない試合だったが・・・


試合後半で僅差で争っていた中で
ボクが守るライトに、平凡なフライが飛んできた。
ボクはすこし体を動かし、捕球体制に入った。
そのときは、2アウトでランナー2塁・3塁だった。


ボクはグラブの土手にボールを当ててしまい、玉は落下。
相手チームが喜ぶ声が耳に入る。
そのときボクは「落としてなるものか」と左手で捕球しに行った。

それが、上手くいって、左手にボールが入ったのだ。

今度は味方チームの喜ぶ声が聞こえた。
同時にボクは安心した。
僕は思った。
こんな風になるのなら「初めからグローブでキャッチしろよ」。

ベンチに戻ったら、みんな笑顔だった。いろいろと言われた。
「ポコ・ア・ポコ」の偉い人には「ポコXXキャッチ」という
ありがたい名前までいただいた。(欲しくなかったけど・・・)

その試合は負けたけど、勝負以上の思い出が得られたから
それでよかったと思っている。
でも、自分のミスを自分で取り返しただけのことだったけど・・・

数年後に「ふらっと」は移転して、メンバーはばらばらになった。
ボクも、それが理由で「ふらっと」に行かなくなった。

メンバーの中にはフジテレビの「おれたち、ひょうきん族」に出ていて
「ざんげの部屋」では、水までかぶった人もいた。

その人は「ひょうきん・絵描き歌」のコーナーで
「山田邦子」さんの後ろでコーラスを歌ってた人だったけど・・・
(後に聞いた話では、彼の幼稚園時代には
現浜松市長の「鈴木康友」さんと同級生だったらしい。
彼が言うには、幼稚園時代の市長は「手のつけられないほどの子供だった」
と、いうことである。はたして、どういう子供だったのか・・・)


もう、ずいぶん会っていないけど、みんな元気でやってるかな。

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