見出し画像

美術館にまつわる、書き残し

美術館は、ある種の駆け込み寺だと思う。

私は別にアートに詳しいわけでも、歴史が特別好きなわけでもない。
だけど、心が求めるときがあるのだ。

あのすっきりとした空間が、すーっと心を落ち着かせてくれる。

「美術館にでかける」という一連の行為が、ひとつのセラピーになっているように思う。


・・・・・・・・・・・・

心身を病んで会社を休んでいた時、母がなんども美術館へ連れ出してくれた。
はじめはなぜ美術館へ誘われるのかわからなかったけれど、車で迎えに来る母にフラフラと連れていかれて館内をぼんやりでも巡っていると不思議と心が楽になった。

初めて出かけたのは山種美術館の奥村土牛展だった。
土牛の代表作のひとつ「醍醐の桜」が見られる機会なのだと聞いた気がする。
作品のそばには、「大器晩成の作家と言われた奥村土牛。本人も『牛の歩み』と言い残している」そんな解説があった。
ゆっくりとした時間の流れを想像しながら土牛の描いた桜の花びらを眺めていた。

・・・・・・・・・・・・

会社を休んでいる、日々なにも生み出さずひたすら寝てたまに何か食べるだけ。
社会の役に立っていない人間であることが罪深く感じられ、その後ろめたさがザラザラとした感触を持って心を侵食している。抗いたいという思いと、もうダメだとという気持がせめぎ合って頭の中も心もグルグルとかき回されている状態。
それを薬でごまかしていた。

体の中で何かがうごめいているのにそれを感じないように麻酔を打たれている感覚が続いていて、ぼんやりしているのに落ち着かない。体の中のザワザワが膨れ上がっていつか破裂してしまう気がする。
ずっとそんな状態が続いていた。

だけど、美術館の中にいるとその苦しさが少し穏やかに、あるときは気持ちが上向きにすらなった。
静かな空間で、誰かが魂をぶつけた作品をただ眺める(時にはボーッと流し見しているだけだったりする)。やっているのはただそれだけ。
別に何も生み出してもいなければ、誰かの役に立つ行いをしているわけでもない。
でも、そもそもそれが決して悪ではないと思い出して息がつけた。


あの頃どこの美術館に行って何を見たのか、今思い出そうとしてもほとんど紐づけられない。
薬漬けの状態で惚けた頭ではこれが限界、仕方なかったのかもしれない。
でも、それらは確実に私の心を溶かし、私を元気にしてくれた。

頭で「意味」は理解できなかったけれど、間違いなく私を救ってくれたものだった。

今も旅をすると、各地の美術館を訪れることにしている。
開催中の企画展を目当てにでかけることもあれば、書店に立ち寄るようにふらりと訪れた場所もある。
展示をまわり、大概その美術館のカフェでお茶をしながら観たものを反芻したり、時にはぼーっとしたり読書したり。
あるいは、同行者がいれば感想を語り合ったり。そうしてミュージアムショップで財布の紐を緩めてキャイキャイと騒ぐ。


以前は、何がしかの展覧会に出かける時は「この作品から何か見つけて受け取らなくっちゃ!」と必死モードになり疲弊していた。
それをやめたら(厳密には、諦めたのだが....)美術館が楽しくなった。
そして、案外ぼんやり眺めている時の方が、自分が待っていたかのような作品に出会える。受け取れる時は自然に受け取れるものなのだ。
(それは、美術をわかってるとかわかってないとかいう話ではなく、相性とか、タイミングとか、そんなものだ。)
だから私は気楽に美術館へ出かける。

もちろん、集中して、気合いを入れて、全神経を注いで見たくて、えいや!と出かける企画展もある。見たものの刺激で興奮したり、嫉妬したり心穏やかでなくなることもある。(そんな時の心の荒ぶりは嫌いじゃない)

けれど、疲れてきた時に、心静かに過ごしたいな、何かうつくしいものを目にしたいな、心に栄養を補給したいなというときこそ、私は美術館に行く。

良い美術館の持つ「良い気」をもらって少し元気になる。
そうして、「ここが好きだ」とひとりごちる。

どこかに行きたい・・そんなときに頭に思い浮かぶ場所。
それが美術館な時がある。

・・・・・・・・・・

昨年から作家 小野美由紀さんのクリエイティブライティング サロンに参加している。
毎月出されるお題を元に参加者各々が作品を書いて、お互いにフィードバックしあう道場のような場だ。
そこでの2月のテーマが、「媒体を1つ決めてそこで連載を持つなら・・・と想定して10タイトルと初回を書く」というもの。
私が提出したのは、雑誌「翼の王国」での連載を想定した日本各地の美術館が舞台のショートショートだった。

特にコンセプトを練るでもなく、パッと思いついたのがそれだった。
書いてみたらたのしくて、ちゃんと形にしたくなった。

そんな思いから自分にとって美術館ってなんなんだろうと考えていたら休職中のことを思い出した。どうせ私はまたすっかり忘れるので書き残しておくことにした。
覚えておかなくても、知らず知らずに体が欲してくれるから良いのかもしれないのだけれど。

くっきりとした記憶として残っていなくても、美術館での時間は私の心の糧になっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?