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「批判は人を育てない」を実感した日

※instagramで投稿しようとCPの文章を書いていたら、思いのほか長くなってしまったので、編集し直してnoteに投稿することにした。CPが長くなりがちな私のInstagramはこちら

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毎年アドバイザーを担当してる秋期の大学講座が終わった。
今年は意欲的な学生さんが多くて、課題のフィードバックをすると指示してなくても再提出してくる子もいて、出されるもののレベルもしっかり上がっていて…。
そのプロセスを一緒に見られるのが嬉しかった。


この意欲の差ってなんだったのだろう。
きっと去年までの学生さんだって、やる気が無かったわけじゃない。

そんな事を考えていて、
1つにはこちらの返し方の違いが影響してるように思えた。

授業でも仕事でもフィードバックをもらう時、具体的に褒められてからブラッシュアップが必要な点を指摘されると、前向きに取り組める。

去年すごく褒め上手な方と出会って、この事を改めて実感した。

そして褒めの幅って広げられるとその人の言葉から気付いた。形だけじゃなくて、愛が深いのだ。

例えば、出されたものが求めていたものと完全に違っていたとしたら(「問い」に答えられていないとしたら)、内容は褒められないかもしれないけど頑張りを認めたり感謝を伝える事は出来る。

何一つポジティブな事が言えないシーンはそうそうないはず。

普段の仕事だと、シンプルに用件だけ伝える事が求められがちだけど、そればかりやっていると息がつまる事がある(私が昭和の女すぎるのかもだけど)。

文字でのやりとりは直接会えないお付き合いだからこそ、いいなと思ったところや、嬉しいことを言葉にしてたくさん伝えておきたいよねと思う。

この「伝えたい」とか「通じたい」って気持ちがこもった文章は、不思議と読むとその事が伝わる。(反対に、形だけこの「褒め&指摘形式」の文章もなんだかわかってしまう)

そんな文章を受け取ると、エールを送られたようで「よし、いっちょやってみっか!」とこちらも踏ん張る気になる。

これまでも褒め&指摘の形式でフィードバックしてはいたけれど、受け手としての自分の中の変化も実感した今、私も褒め上手になりたいと思って、今年はポジティブなフィードバックに例年以上に力が入った気がする。

そんな思いが通じていたなら嬉しいな、と講義後のレポートを書きながら思ったのでありましたとさ。


作家 小野美由紀さんのこの記事が大好きなのだけれど、これを読んでから、ポジティブフォードバックを大事にしたい気持ちが高まった。(そして私もされたい)


小野さんの文章講座(オンラインサロン)やワークショップに参加するといつも勇気付けられる。安心してのびのびと書いた文章、あたたかなフィードバックを元に書き直した文章は、自分の書く力を磨く機会に確実になっている。
そして普段より、良い作品が欠けた気がするのだ。(実際、ここで書いた作品は公開すると褒めてもらえることが多いから、気のせいじゃないはず!)


ここまで書いてきて・・・、そもそも、フィードバックに限らず、相手の良いところ見つけて伝えるってお互い嬉しいよねきっと。
気持ちよく、相手を讃えられるひとでありたい。


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