大見謝

大きく見せて謝る(ごめんなさい)人生 / 1988, 長崎生まれ, 沖縄育ち / 猫…

大見謝

大きく見せて謝る(ごめんなさい)人生 / 1988, 長崎生まれ, 沖縄育ち / 猫五匹と古民家二軒と店舗二軒 / 芸能と民俗と風俗 / 水木しげる追っかけ / TENG(法人)とケケケ(個人)

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【1本600~2000字を、月5~10本配信】 「あの世とこの世」のように「都会と田舎」を行き来する編集者の、SNSでは書ききれない日々の生活や考察、ついSNSの建前で包み隠してしまう本音のぶちまけ、コンテンツの雑感などをぬるっとお届けします。 メンバーさんからの「こういうの書いてみて」があれば、なるべく投稿できればと。あと、そのうち、本や映画の感想戦、日々のモヤモヤの共有、ちょっとした企画づくりの場も+αでととのえられたらと作戦練ってます。 馬鹿にかまってください。

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マガジン

  • ケケケの日記

    日記(のようなもの)

  • なんとか400

    なんとか400字ちょうどで書く、記録か記憶。

  • なにかと800

    なにかと書きたいことが増えちゃって、400字で足りず×2倍の800字でちょうどで書く、記録か記憶。

  • 書くか喋るか

    TENG(テン)の活動で考えたこと/感じたことを、書くか喋るかで記録してきます。

  • ゆかいな40へ向かってゆけ(仮)

    なぜ「小劇場をつくろう」と思ったのか

最近の記事

  • 固定された記事

何者であるか、を手放せ。

自分が何者なのかなんてわからなくていい、どうだっていいことだ。 他人にある程度を説明できる肩書みたいなものは必要だけど、それによって自分を語りつくすことなんてできない。だって、その肩書は、自分のほんの一部でしかないのだから。 だから、何者かになろうとして、”その肩書”を得たところで、何者かになれているのだろうか。手段としての肩書であって、目的ではないはずだ。その言葉に振り回されてしまっている、もっと言えば、他人の目を気にした言葉にすがってしまうというのは若者が通る道なのか

    • カンフー事変

      ときどき、ほんと何がスイッチになったかもわからないのだけど、幼い頃の記憶がフラッシュバックすることがある。そして思い出すのは、たいていテレビの前にいる自分だ。 小学生に上がる前は、一人、もしくは弟と家で過ごすことが多かった。母もパートで働きに出ていたこともあり、留守番担当であった。そんなとき、テレビの前に身を置いて、毎週のように足を運び借りてきた作品をビデオデッキに押し込んでいた。 みつばちマーヤ、ムーミンのようなアニメはもちろん、ジューレンジャー、ウルトラマン、ゴジラの

      • 。こわい

        35才の大したことのない年齢でも、ジェネレーションギャップってのは偉そうに感じてしまうわけで。 「マルが怖い」 若い人たちの中には、LINEなどのやりとりで文章に「句点(。)」がついてると「圧」だとか「怒り」を感じることがあるそうだ。「マルハラ(スメント)」なんていう言葉もあるとかないとか。 なんじゃそりゃ、もう行き着くとこまで行っちゃうと本すら読めないじゃん? と反応してしまった。が、逆に考えれば、想像力が豊かとも言えるのかもしれない。しかしまあ、勝手に予想して勝手に

        • コピペで造られた話題なんて

          いまだにXという言葉に慣れない。鳥がいい。 そんなTwitterでは「話題」を覗くのがわりと好きだ。今、日本にいる人が何を気にしてるのかを眺めながら、自分の関心とのズレを確認できるから。 昨日だったか、「炎上店主」という話題で、外国人観光客に「日本では日本語を喋る努力をしろ」と主張した居酒屋店主に関するポストが並んでいた。 「日本なんだから日本語を」うんぬんの是非はさておき、気になったのは、似たような……というか完全にコピペされたポストが幾度も並んでいたことだ。 アカ

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        何者であるか、を手放せ。

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        メンバー特典記事

          体重って、青春だ。

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          変革の秋。2週間ほど前から、朝、体重計に乗るようになった。これが意外とたのしい。

          体重って、青春だ。

          蓋をして進んでいく未来

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           ただ流れる窓の外を観るだけのお仕事です   星野源の『ある車掌』の冒頭リリック。  これを聴くたびに、「おいらは大丈夫だろか」と、自分の今の地点を確認しなくちゃという気持ちになる。 「ただ流れてくるものをひたすら流していやしないか」

          蓋をして進んでいく未来

          「どこに住もうか」なんてまじめに考えなくていいのかも。

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           ずっと地元がある人がうらやましかった。あ、それも今も変わらないか。うらやましい。  この「地元がある」というのは、物理的あるいは法的な意味ではなく、心理的な意味での地元の有無の話なんですよね。  ぼくには地元がない。  物理的な話をしちゃえば、長崎平戸島で生まれ、すぐに神奈川へ。そこでも川崎や横浜のなかを行ったり来たり。9歳くらいで沖縄伊平屋島に移り、高校から那覇に出て、大学からは東京へ。東京も学生生活から約10年くらいいたわけで、じつは一番滞在した都道府県でもある。

          「どこに住もうか」なんてまじめに考えなくていいのかも。

          手放し、演じる、日々はドラマ

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           予想だにしなかったお題が飛び込んでくる。そんなとき、どう受け身をとり、攻めに転じられるかって、つねに求められてることだよなぁ。  「求められる」ってのも、相手に求められてるってのはあるけど、それ以上に、自分に求められている感覚とでもいいましょうか。今の自分を上書きするためには、「なんか必要かもね」というやつ。

          手放し、演じる、日々はドラマ

          うんちは人生のスパイス

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           にゃ〜ん、と訴えかけてくる鳴き声が聞こえたら、これは「トイレに今すぐ連れてけ」の合図である。一緒に暮らす5匹の猫のうち、「もず」だけがトイレ時にまだ甘えを見せてくる。  一時期もう直ったかなぁ、という安定期があったのに、ボクが3日家を空けている間にトイレ以外でうんちをするという粗相を起こしており、以前のようにまたトイレットトレーニングが始まったわけなんです。  前は、朝目が覚めたかと思えば、にゃ〜んと声をかけてくる。この鳴き声は食べものをねだってる感じじゃゃない。とすれ

          うんちは人生のスパイス

          コンディションと、物怖じボーイ&ガール

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           コンディションが大事なんすよね。  自分が今どんな心理状況にあるのか。たとえば、恋人にフラれて哀しいだとか、仕事で理不尽なことに遭遇して煮えきらないだとか、滞りなく物事が進んだからいい日でハッピーだとか、その前提を抱きながら、今目の前にある物事を判断していかなくちゃいけないのが人間だ。  それを前の感情を引きずったままに、物事の経過を眺め、相手の言葉を受取り、選択しようとするとどこかでズレが生じてくる。こういうときほど事実をもとにした冷静な判断が求められるのだけど、それ

          コンディションと、物怖じボーイ&ガール

        記事

          レトロゲームで地図づくりを覚えた

          わからないから、夢中になれた。 初めて手に入れたテレビゲーム機は、親戚から譲ってもらったメガドライブだった(セガサターン時代に)。 本体とセットでもらった数本のソフトはおろか、中古ショップで買い足したソフトには説明書など付いておらず、ゲームスイッチをONにしないと、どんなゲームかなのかすらが掴めない。今のようにレビューを読んでからプレイするなんて夢のまた夢。 なので、「おまえは何者なんだ?」そんなノリで問いかけながら、コントローラーをいじる。「どのボタンを押せば、キャラ

          レトロゲームで地図づくりを覚えた

          ままならぬ愛らしさ

          今日は、ひさびさに午前中には起きていた。「リソグラフ」の研修があったからだ。 6年ほど運営に関わる拠点「なわほ」は、いろんな「つくる」を学び、体験できる"ネオ公民館"を謳うようにしている。蒸留器や3Dプリンタ、レーザーカッター、木工旋盤などさまざまな「つくる」に対応し、ちょっとしたメーカースペースのようにゆるく稼働している。 そういった「①つくる場所と道具がない!」に合わせるだけでなく、「②つくり方がわからない!」に対応できるようにとはじめたのが「なわのがっこう」だ。「地

          ままならぬ愛らしさ

          息継ぐ間もなく

          そんな気分で、今を迎えている。 目に見えるわけもないのだけど、疲れの湯気が身体からじんわり湧き上がっているような、ひどく研ぎ澄まされたエグゾーストティド。 洗練された疲弊はもはや人を休ませない。この状態だからこそ新たに開眼できる力があるんじゃないか…..という下心が人を動かすようで。だからか、まだ布団に潜り込もうとは思わない。あら不思議。 余計な力が抜けたときに真の力を発揮する。『ダイの大冒険』で主人公ダイが「大地斬」という技を習得したときのように。今なら斬れなかったも

          息継ぐ間もなく

          すべて明るいよりも、そこそこ暗がりのある生活を。

          明るいところが苦手だ。 必要以上に空間がきらめいているとなんだかソワソワしてしまう。明るいとくっきりと姿が映し出されるのに未だに慣れずにいる。 空間について具体的にいえば、「昼白色」や「昼光色」のホワイト強めで発光する電灯が苦手だ。だから、家の電灯はほぼ「電球色」で、オレンジの明かりに頼る生活をしている。普通の家に比べれば、ずいぶん暗い家じゃないないかと思うが、落ち着くにはこれくらいがちょうどいい。 これは慣れのせいもあるのかもしれない。小学生の頃からずっと夜型の生活を

          すべて明るいよりも、そこそこ暗がりのある生活を。

          「死」のない、だらけた「生」活は避けたい派

          ものに溢れすぎて、いろいろとコントロールできるものが増えた現代だから、人間として抜け落ちてしまった感覚があるんじゃないかと怯えている。 だから、昔の人がどうであったかをなるべく想像するようにもしている。 「55才で死ぬ」と仮定して日々を過ごすようになったのも、かつては平均寿命が短かったんだよなと沁み入ったから。 人生100年時代と言われてはいるけど、正直「100年なんて長すぎるっ!」とツッコミを入れたくなる。それに、いつまでも長生きできると思ってると、1日1日を粗末にし

          「死」のない、だらけた「生」活は避けたい派

          スヌーピーの言葉が沁みない人と「異世界転生もの」

          欲求不満の吐口のようで気持ちわるい。 8-9割型の「異世界転生もの」「なろう系」に対する感覚は、今も変わっていない。 ただ新たな気づきはある。その現実逃避感ってのは、「本当の私」への固執が根っこにあるんじゃないか。会社や学校での私は本当の私じゃなく、絶対的不変の私が評価されていない現状への不満みたいなものが昇華されたかたちなのかもなぁと。 それと、こういう作品の台頭、人気獲得って、近年の「親ガチャ」「上司ガチャ」といったガチャ論ともリンクしてるような気も。 有名なスヌ

          スヌーピーの言葉が沁みない人と「異世界転生もの」

          無駄かい

          去年の数ヶ月「企画メシ」に参加した。そこで一緒にグループ課題に取り組んだメンバーと定期的に集まることにしている。 「無駄印良品」という企画をつくった流れから、今でも近況や世間話を交えながら、無駄についての共有をゆるやかにしている。そんな「無駄会」がさっき終えた。 「最近みつけた無駄は?」 小さな宿題の提出をしつつ、現代人の「ムダな反応」の共有にはじまり、仏教、マインドフルネス、落語、探求学習、ピクミン、散歩、ジャーナリング、U理論などの話題に連想で広がっていく。 まあ

          無駄かい

          文章を「削る」ことに汗をかく

          書くことが思い浮かばない。だけど書かなくちゃいけない。しかも時間がない。こういう状況ってみなさんどれくらいあるんでしょうか。 ぼくはまさに「今」それなんですよ。 だから構成うんぬんを練るのを観念し、こうやって、とにかく頭に浮かんできたことを打ち込んでいく書記モードに切り替えてみたわけで。 まあ、たった400字打ち込めばいいだけはあるんだけど、だらだらっと書いててきれいにジャスト400字になることなんてのはなく、結局、削る作業に時間をいくらかとられてしまう。 400字か

          文章を「削る」ことに汗をかく

          ビジネスモデル崇拝で「仕事する」とか「お金を稼ぐ」とか

          イヤイヤながらでも仕事をしていると「ビジネスモデル」という言葉に出くわす。 のことを指すらしいが、社会人になって15年が経った今でもあまりピンと来ない。そもそも「モデル」という言葉に重きを置ことする姿勢があまり好きになれない。 物事は、真似から入って、学びに変え、身につけ自分のものにしていく。そのためには手本・見本となる「モデル」は大事なのだろうけど、「そのモデルをなぞらってさえいれば、もうすべて大丈夫です」といった論調をこの頃は感じる。ネット広告で甘いささやきのように流

          ビジネスモデル崇拝で「仕事する」とか「お金を稼ぐ」とか

          「能力ガチャ」は待ってても回らない

          「できないから、やらない」 ひどくシンプルかつ速攻で新しいことを拒絶する言葉に出会ったとき、これは「呪いだな」と思ってしまう。 「できない」からやらない、は、やらない理由にしちゃいけない。だって、「やらない」から、ずっとできないままなのだから。やって、やって、やって、その積み重ねが「できる」に変わるのだから。 一度やってみたものの、うまくできなかったのか。まわりに馬鹿にされたのか。そういうイヤな記憶に引き摺られて、「やらない」選択肢をとり、一発ですぐにうまく「(チート)

          「能力ガチャ」は待ってても回らない

          世代で人は決まらないのよ

          Xを眺めていたら、Z世代が選ぶ「新学期あるあるTOP10」についての画像が流れてきた。 「世代」というものに人よりは敏感なほうだと思っている。20代でハチナナハチハチというブログメディアをやっていたせいか。たまたま数人ではじめた共同ブログメンバーが87-88年生まれで固まってただけだったけど、まあ世代の意識はした。 メンバーは俗に「ゆとり世代」なんて言われる、その初期の初期の世代だろう。かるく調べてみると、1987-2004年生まれまでをそう括ってるらしい。いやいや、17

          世代で人は決まらないのよ

          機械である人間の表現のつくられ方

          作家でありユーモリストでもあった、マーク・トウェインはこんな言葉を残していた。 そんな彼が晩年に書いた著書が『人間とは何か』だった。「人間、それは単なる機械である」という冷ややかな論調が、老人と青年の対話形式で記された一冊。 人間は"外部からの力"の影響を受けることで思考も行動へ突き動かされる、と老人は持論を展開させていく。 これは、「個性とは」また「オリジナルとは」について考えていくのにいい素材だよなあ。だって、「どうやって人の表現はつくられていくのか」という観察につ

          機械である人間の表現のつくられ方