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人口16000のまちでミツバチに触れたら

「土間」というのは、プライベートとパブリックの間の空間だ、という話を聞いたことある。家のなかにありながら、内と外をつなぐコモンスペースなわけで、人と価値観がかき混ざる場所でもあるわけだ。

その考えをもとに、シェアハウス「のまど間」は、”地域にとっての土間”として、大山町にやってきたばかりの人が、町の人とつながる場所としてつくられたそうな。

そんな「のまど間」の土間は、ときおり、イベント会場にもなる。先日は、「大山アニメーションナイト」という会に参加させてもらった。

イタリアからお越しのステファノさん&ジジさん

2013年からスタートした「大山アニメーションプロジェクト」。「こっちの大山研究所」の大下志穂さんを中心に取り組んでいるAIR(アーティスト・イン・レジデンス)プログラムで、作家が一定期間を大山で過ごし、作品づくりを進めていくというものだ。

この日は、今年度、大山町で作品づくりをする作家のステファノ・ブロさん(パソコン前)と、今回の主にストーリーづくりを担当する相棒、ジジさん(スクリーン左)をゲストに迎え、彼らの自己紹介や、プロジェクトの過去作品を鑑賞が行われた。

”翻訳家”がいること

過去作品の鑑賞後には、志穂さんが一つひとつの作品の説明をしてくれた。作家さんの特徴および技法やインスピレーション、彼らが大山滞在で作品をつくりあがるまでの過程をエピソード付きで丁寧に言葉にしてくれるかたちで。

ぼくなんかもそうだけど、アートに疎い人間からすると、作品をみるときに着目するポイントを教えてもらえるのは、かなりうれしい。”つくる側”の視点に立って作品を見よう、という気にもなるくらい触発されるほどだ。

そういえば、ニューヨーク近代美術館(MoMA)では、作品を鑑賞しながら対話をする「アーツ×ダイアログ」という取り組みがあって、ファシリテーター的な人が付くというのを聞いたことがある。

もしかしたら、そういう感じなのかもしれない。志穂さんは、パッとみただけでは気づきにくい、見えないものを翻訳してくれている。だから、違ったステータスの人が同じ空間にいても一緒に話を進めていくような感覚があるのかもしれないなあ。

実は、ステファノさんは、去年も参加されていて、今年は二度目の大山リピーターだ。遠いイタリアからわざわざ日本にまた来ようと思った理由は一体なんだったのか。

「日本では他のAIRにも参加したけど、大山をあちこち連れまわしてくれて、地域の人と深く関われたのは、大山くらいでした」(ステファノさん)

というくらいで、作家さんの思考趣味嗜好に合わせて(しかも国も文化も違うなかで)コーディネートができるのはやっぱりすごい。地域の人と作家の間に立ちながら、コミュニケーションが進むような”翻訳家”がいてこそ、AIRというのは成り立つのだなぁとしみじみ。

アーティストインレジデンスという作品づくり

志穂さんは、「AIRは、地元の人に意味のあるものにしたい」と考えていて、内と外をつなぐ媒介としてのプログラムにしようとしている。

もしかしたら、それは、「アーティストインレジデンス」という作品を、まちの人を巻き込みながら、一緒につくりあげていくことなのかもしれない。

となれば、作家は、問いや気づきを与える”媒介者”であり、新たな価値観/技術/情報をまちに運んでくれる存在ということになる。それはまるで花から花へ飛び回りながら花粉を運ぶミツバチのような。

だから、作品だけじゃなくて、その存在の彼らが隣にいて、言葉を交わせることの意味は大きい。伝わってくるものに生々しさみたいなもんがある。大人ですらそうなんだから、子どもであればなおさらだろう。

自分の過去を振り返ってみる。ぼくは沖縄の小さな島で育ったのけど、そのなかでは、やっぱり知り合える人もごくごく限られていた。おそらく「表現とか仕事の選択肢」を知らなかった。だから、型にハマらない、さらに言えば、未知の存在に触れられることの意味は大きい。

地域の子どもから大人までが、さまざまな作家とその作品に触れることで、全員とまでは言わなくても、自分たちの暮らしに彼らの発想や表現技術を加えていくことができる。それが、本来のAIRのかたちなのだなぁ、とあらためて感じられるイベントだった。

(アートにほとんど触れずにきた29年間だったので、もう少し踏み込んでいけたら、とひっそりと思ったりも。)

あ、今年度の作品発表会+αの「イトナミダイセン芸術祭2017」は、11月3~5日にあるみたいですよ。

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