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何も書くことがなく / それとなく愛について

CreepyNutsの「よふかしのうた」が配信されてたので、AmazonMusicで聴きながら、23時45分から書きはじめた今日の日記。夕寝?後すぐなのもあって、頭があまり働かない。

はて、15分で何を書けるのかしら。とりあえず言えるのは、約4分の「よふかしのうた」をリピート再生したら3回半くらい聴けるねってことで、もうすでに2回聴き終わろうとしていることだ。

そういえば今日は、ひさしぶりにブックオフに行ったんだった。

というのも、鳥取市の「CAFE KOHANHE」でいい読書体験ができるよ、という話を聞いていたので、本を読みに向かったんだけど、肝心の読もうと思っていた本を家に忘れており、急きょ立ち寄ることになったわけで。

とりあえずKOHANHEで読む1~2冊を買えればいいや、と思ったのに、店をぶらぶらしてると気になるものをみつけたり、そういえばこれ読みかったやつだったよな、と思い出したり、昔読んで今手元にないからまた手に入れておこうかな、と感じたものを手に取ってみたら、なんだかんだ7冊も買ってしまっていた。

こういうのこそネットじゃできない購入体験だよなぁ、と思いつつ、『愛するということ』『原稿用紙10枚を書く力』『社会人大学人見知り学部卒業見込み』『大泉エッセイ 僕が綴った16年』『カーネギー名言集』『「おじさん」的思考』『見仏記』とカフェへ向かうことに。

ひさしぶりにパラリとめくった『愛するということ』に次のようなことが書かれていた。

愛は技術だろうか。技術だとしたら、知識と努力が必要だ。

続けて、たいていの人は、自分がだれかを愛する能力のことよりも、どうやって”愛される”人間なれるか、ということばかりを気にしてると指摘する。さらに愛の問題は、能力の問題でなく、”対象”の問題だと思いがちだと。いつの間にかロマンティック・ラブを追うようになり、愛の対象の選び方が変化してきたのだと。

これをみたあと、なんとなく目をやったFacebookにマッチングアプリの「Pairs」関連記事が流れてきていて、ふと思った。

「フロムさん、ぼくらが生きる現代は、あなたの時代からよかったのかわるかったのか、テクノロジーが発達しちゃって愛の対象の選び方が”スペック”うんぬんで、さらに複雑になってるかもしれません。その現代の愛のかたちについて、もしよければ、ぜひあなたにお話を伺いたいのですが...」

その話を広げていけば、なんとなくnote一日分書けるかなぁ、と思ったところで今日を終えます。いくらか本を買いました、という話でした。

ああ、なんかくしゃみが止まらない。へっぷし。

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。