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ないものねだりとからあげ棒うらない

セブンのからあげ棒が好きである。

ハレとケを交換する

家にいることがほとんどなので、基本は自炊となる。食料品は月1~2回、業務スーパーなどに行きまとめ買いをして、卵、野菜などの生鮮ものだけちょくちょく買う。農家さんが多いエリアでもあるので、新鮮な野菜を手に入れることができるせいか、食生活は東京にいたときよりはグンとよくなっているのだけは確かだ。

とはいえ、べつに”ていねいな暮らし”をしたいわけでもなく、身体にやさしいものばかり食べてるからか、外に出ると無性にジャンキーなものが食べたくなる。

小さいとき離島に住んでいたとき、本島に出たら「マクドナルドに行く」みたいな流れがあったけど、今なら、わざわざジャンキーなものを摂取しようとしていた欲望をちゃんと説明できる。

ただただ、ないものねだり、なのだ。

普段自分の手元足元に”ない”ものこそほしくなってしまう。都会にいるときは、むしろ新鮮食材を使ったやさしい食事をとれることに良さを感じていたが、今は逆になっているのは、ないものねだりの骨頂だと思う。

都会暮らしの人は田舎暮らしの人に、田舎暮らしの人は都会暮らしの人に、なにか憧れるものがあって、”観光”もある意味その構造から成り立ってる部分も少なからずあるはずだ。

だれかのケ(日常)は、だれかのハレ(非日常)になりうる。

だからこそ、ハレとケの交換ができるような仕組みを持つことが、事業づくりにもなるのだろう。(ケケケという屋号で動いている自分としては、まさにケの焦点のあて方を模索しながら、コンテンツづくりをしていきたい)

からあげ棒で一喜一憂

と、話が逸れたのだけど、冒頭のセブンからあげ棒こそが、ぼくとってのハレ的フードというわけである。

外に出るたびに、一番身近で手に入れやすいジャンクが、コンビニスナックで、とりわけセブンイレブンを贔屓にしてるのだけど、そこでよく頼むがからあげ棒。

うまいんだけど、正直、あたりハズレがあるのがちょっとつらい。揚げたてはあたりで、揚げてから時間を経ったものはハズレ。

ハズレをひくことが多いから、あたりのときはうれしく、その味が忘れられず、またついつい買ってしまうのが、ぼくにとってのからあげ棒だ。

で、いつからか思うようになったのが、「揚げてからどれくらい時間が経ったかどうかを表示してくれ」という卑しい心のさけびである。あるいは、毎度もろもろの商品を揚げる時刻表みたいなものとか。

それがわかれば、ハズレくじを引く機会はグッと減る。小さなことをグチグチとなんとも姑息な消費者だと自分でも思うのだけど、そこがあるとうれしいよなぁ。

でも、カチコチなからあげ棒を引いたときに、今日はそんな日なのか、と吉凶をそんなもんで占ってしまっている感覚ももはやあるから、あたりハズレがわかっちゃうとそれはそれでさみしくなるのかもしれないけど。

わからないものこそ好奇心をくすぐられる。からあげ棒の神秘だなこれ。

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