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住む場所を変えるすゝめ

元旦は集落の新年会があった。朝10時から家の隣の神社でちょっとした祭事があって、それが終われるとすぐに公民館へ。何時間飲んでいたか覚えてないが、ふらふらになって目が覚めたらいつの間にか家にいたことだけは覚えている。

新年になったので抱負なりをゆっくりと考えてみよーかなと思ってた矢先にこれだ。先が思いやられる気持ちでいっぱいだけど、ドタバタしながら今年も進んでいくのだろう。よっしゃ、う、受け入れよう。

そんなこんなで抱負など考える暇なく、早めに通常運転に戻ろうかなと思っていたら、ツイッターで偶然拾った記事がなるほどなぁと妙に唸らされたので少しメモを。

せっかくの決意をむだに終わらせないようにこうしよう、という内容だった。

決意の無駄打ちをしないで、自分を変えるにはどうしたらいいか。私が昔から使っている簡単な方法が3つある。時間配分を変えること。住む場所を変えること。そして付き合う人を変えることである。

 これは、べつに新年の抱負に関わらず、ライフハックや仕事術の類の記事でも多く言われれているようなことではあるので、言葉としての真新しさはなかったんだけど、去年の自分を振り返ってみるとその意味をかみしめた。

「住む場所」を変えるのが一番変わるんじゃないか

成人してから京都や小豆島、沖縄と点々とはしてきたが、去年ちょうど東京から鳥取へと生活拠点を変えることで、変化したものも多かった。

自炊が増えたとか、新鮮なものを食べられるようになったとか「食」に対する姿勢が変わったとか、一軒家に住めるようになって掃除が大変になったり、春夏秋冬の家の過ごし方で思わぬ出費を感じたり、反面トータルでいえば生活コストはグッと下がったり、集落のなかの仕来りを学んだり、自覚するほどに暮らしのリズムは大幅に変わった。

住まいが変わったから、仕事と働き方ももちろん変わらざるえなく、家での作業が増えたぶん、もろもろの時間配分はおのずと変わる。だし、新しい地域にきたことで、付き合う人も当然ように変わった。

つまりは、ぼくの場合、住む場所を変えることに引っ張られて、時間配分も付き合う人も変わったのだった。だからこそ思うのが、やっぱり自分をとりまく環境(外的要因)を変えてみると、変えられるものが増えるということ。

場所の移動は、価値観のふり幅を増やす、あるいは、自分に適した価値観の取捨選択をすること

ある意味、ぼくは自分を”詰ませる”ために鳥取に移ってきたことになる。都内にいてストレスに感じていたことはだいぶ無くなったし、(パッションだけで)変えようとしていたけど変えきれなかった自分のルーティンがこっちの生活に知らぬ間に最適化され、改善された気もする。

自分もその一人だという自覚ありきで、都会でモヤモヤを抱えている人をたくさん見てきたし、「移住」というものに関わっていたのもあり相談めいたものをされることも多かったが、ほとんどの人は「今いる環境を変えたいけど一歩が踏み出せなくて」という話で、結局2~3年経った今も同じところを行ったり来たりしているように思えた。

最終的に何かを変えたいと思っている人が変わるのは、他人がどうこうしてもどうなるもんでもなく、本人が考え悩んで絞って決断して一歩を踏み込んでみたときだけなので、あれやこれや言ってもしょうがないのは承知の上で言ってみるのが、「住む場所変えるとまじで変わるよ」ということ。

都会から地方へ、という話でいえば、都会を出たいけど出ない人は、そもそも都会の価値観だけでそこを出るか出ないを考えるけど、その価値観に飲み込まれている時点でもうそこを離れちゃったほうがいい。

場所が変われば、そこで規定される基本的価値観も変わる。地方に行けば、地方における常識的な価値観がある。郷に行けば郷に従えじゃないけど、地方に出たいなら、そこの価値観をベースに考えてみるといいはずだ。

物々交換なども含めたお金に対する考え、複・副業のようなパラレルワークは目指さなくてもわりとなれちゃうこと、人口が少ないからこそ埋もれにくかったり、目立つようになると都会ではなかなか会えないような人にも会えるようになること、など暮らしのもとになっている価値観を住めばじわじわと感じられる。

付き合う人だけなく人との付き合い方も変わる

もう一つ、さっきの「付き合う人が変わる」についてだけど、住む場所が変われば、付き合う人が変わるだけでなく、これまでの人との付き合い方も変わる。

親しい人ほど、遠く離れることでその関係性をあらためて感じられるし、むしろ離れたことで深くなった仲もあった。辺鄙なところに住んでいるからこそ、わざわざ訪ねてきてくれる人もいて、場所が関係性をフィルタリングしてくれる感覚には驚いた。

逆に言えば、同じ都内にいた(近距離にいた)だけで広く浅く付き合っていたうっすい関係というものが断ち切られ、その煩わしさと交際費はえらく小さくなっていた。

物理的距離と人間関係というものは生活にわりと影響するようで、それが人との付き合い方までも変えてくれるわけだ。一応、それも住む場所変えるよさの一つとして。

いきなりプロポーズせんでもいいから

とはいえ、いきなり住む場所を変えるだなんてむつかしいことだ、という意見もわからないでもない。

なので、まずは観光などの行く先々で、そこでの暮らしに触れるよう、自分であればどう暮らすのかイメージを持ちながら地域をまわってみればいいし、1週間だけでも(最悪、週末だけでも)いいので”お試し居住”のように短期滞在してみるからはじめるでもいい。

ありふれた表現でしかないが、告白し、デートを重ね、じょじょに結婚へ向かうように、段階を経たうえで「住む場所を変える」こともできるということ。

むしろ、即決できめてスピード婚できるほうが結婚詐欺なんじゃないかと疑ってしまうくらいだ。

まぁ、会社員とかであれば、平日は都内で、週末だけ○○というな二拠点のかたちもあるわけで(これは二股疑惑もかけられるリスクはあるが)、住む場所をごっそり変えずに、一部を変えるでもいいはずだ。

大事なのは、自分が一定期間いる場所(そこを規定する価値観を)を変えることで、しれっと変わるものがあるということなのだから。

精神的にひ弱だからこその選択

結局のところ、ツイッターで拾った記事から何をメモしたかったというと、もし許されるならば、過去の自分に「住む場所を変えるすゝめ」をしたくなったのだ。それで自分を変革できる!とはよう言わんけど。

べつに場所が変わらなくても、気持ちだけでマッチョに変わっていく人がいるのは事実だし、「おれ/わたしはそうじゃねぇ!」って反論したい人はいるだろうが、なかなか変わりきれなかった自分が変われたなぁと思うのは住む場所の選択と決断だったという事実もあるので、それはそれでということで。

で、場所が変わって習慣は変われど、性分というのはなかなか変われないようで、昨日べろべろになるまで飲んで、もう禁酒じゃー!と思ったけど、きっとまた懲りずに飲むんだと思う。自分のこういう情けなさは、きっと死ぬまで一緒だと思う。よっしゃ、受け入れよう。


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