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不確かさに身を委ねて③|”ちょんの間”のある世界とべろべろアーティスト

会う約束をしていた知人は、先約の飲み長引いているらしく、合流までまだ時間がかかりそうだった。どうしよっかな、と思っていたら、九条には松山新地があるよ、と彼が昔教えてくれたのを思い出した。松山新地というのは、有名な飛田新地みたいな”ちょんの間”が並ぶ通りである。

言ってしまえば、お金を払って女性と体の関係を持つ場所ではあるんだけど、法律上それは禁止されているので、「宿として休憩所に訪れた男性が、そこの仲居さんと自由恋愛をして”行為”に至った」という解釈で、そういった売買がされているのが「○○新地」だ(超無理矢理だけど、ものは言いようってか、、)

各新地によって、料金体系やサービスは微妙に違っており、興味があれば、そこらへんはググってみると、マトリクス化された記事とかあるので、読んでみるといいかもしれない。

ちょんの間がどんな感じなのか、見るのもはじめてだった。話に聞いていたように、お店の入口におばちゃんが座っていて通り過ぎる人たちに「そこのにぃちゃん」と手招きをしていた。すべてではないのだけど、その近くに若い女の子が座っているお店もあって、入口でだれと”自由恋愛”したいかを選んでお店に入れるようになっている。

びっくりしたのは、その女の子たちの美人度であった。目が悪いのがあって、ざっくりとしか見えてはいなかったけど、みんなお人形さんのように整った人ばかり。それがベビードールを着て、一緒に手招きしているのだから男性は刺激されるのだろう。あまりにも整いすぎている彼女たちを観て、みうらじゅんが紹介していた最新のラブドールでも見ているかのようだった。

とにかく、すごい場所だった。知らない世界ってのはこんなにもあるんだなぁとつくづく思いながら、新地近辺をふらふらと歩いた。新地からほんのちょっと離れたところには、商店街があって、その大通りには女子高生たちや家族連れの人なんかが普通に歩いていて、半径100m内に異世界へと通じる見えない境界線があるのかって思ったりもした。

知人との約束もあったので、お店に入ることもなく新地を去ることに。死ぬまでのどっかで足を運んでみるかとは思ったが、九条駅近くにあった「悪女」というスナックのほうがやたら気になったのが事実だ。(敬意をこめて)とんでもないババァたちとしみったれた酒を飲んで、どこのだれかも知らないちょっとママに惚れ込んでいるおっちゃんのひどい歌唱力を耳にするのもわりと楽しかったりするし。

さて、十三での飲みを終えた知人と、駅をまたいでの梯子酒へ。わりとふらふらでうつらな雰囲気だったけど。もうその感じがいい。会うたびに、シャキッとしていなくて、どこかに隙があるような彼が好きなのだ。この日も裏切らなかった。

アーティストである彼はろれつの回らない口で、「自分や他人の闇とか孤独とか弱さに向き合っていくのか」という話をしたり、「お金にならないのはわかってるけど、それでもやってみたいことは何?」という問いをぼく投げかけてきた。

ひどく抽象度が高く、ときどき、言っている意味がわからないこともあったんだけど、それが面白く、彼にますます愛着を感じてしまった。ぼくよりも何個か上の、ぼくよりもおっさんな彼にかわいらしいと感じるなんてバカげているなぁとそれに笑けてくる(ちなみにぼくはゲイでもバイでもない)。

なんだかんだ深酒して対話めいたことをして、気づいたら深夜3時過ぎ。ふらふらしながら去っていく彼の姿を見届けながら、ぼくは宿へと戻った。なんだかいい一日を過ごした気分だった。寝床ではうつろうつろに今日の過ごし方を考えていたら寝落ちした。一日が終えた。朝が来た。

そんで今こうやって書いてるわけで、振り返れば、不確定要素が多い、なんとも濃い2泊3日の関西滞在だったなー。最初に決めていたのは、大山崎に立ち寄ることと、髪を切ること、映画を観ることくらいで、あとは行き当たりばったりで、だから良かったのかもしれない。

さて、、集中途切れてふと思い出したのだけど、そういや二日酔いだった。あいたたた、お冷くだせぇ。


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