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水木という妖怪

「なまけ者になりなさい」

と言ったのは、漫画家の水木しげるだった。

「仕事はなまけちゃいけない」を常識とした脳内チップが埋め込まれた人間からすれば、冒頭のセリフは、「え、なんで? この人なに言ってんの?」と思考回路をぐるぐるとかき乱すもので、そのせいで日々のルーティンを鈍らせる可能性だってある。

そんな一言との遭遇は、化物じみたジイさんから、「なぜ働くのか」と根本的な問いを突きつけられるライフイベントとも言える。

  仕事をせずに生活なんてできるわけがないボクらは、すぐに答えが出ることのない問いを抱えながら、悶々とした気持ちで日々を過ごすことになる。たいていの″モヤモヤ″は、ふとした言葉から沸いてくるものだ。

それが、どこかの、ふとしたタイミングで、彼の言葉が急に“シズル感”のある金言として心に止まり、新たなチップとして脳に組み込もう、といわゆる「働き方改革」をはじめる人間も少なからずいるだろう。

というか、何を隠そう、ボクがその一人であった。そして苦労したのが、「なまけ者になりなさい」の解釈だった。ここを間違えないように、気を付けなきゃいけない。

愚直に「はーい、じゃあもう、なまけますわ」とエリートニートまっしぐらの道を進んでしまったらもう大変。やることもやらずに、昼寝ばかりしていても何にも目の前の現実は変わらない。

言い換えれば、それはお金にはならない。“金言”だと思ったのなら、やっぱりそれはお金を生み出すためのチップとして取り込まなきゃいけない。

その使い方を一番気にするべき。を前提として、何をするにもお金はめちゃくちゃ大事だ。

戦後に絵描きとして食えない時期を延々と味わった水木しげるも、お金はないよりはあったほうがいいと考えていた。″ゲゲゲ″で売れてお金がもらえるようになったおかげで、海外にも旅行できるようになり、お面や像などのコレクションも増やせ、幾度にも渡って家の改造ができたのだ(その代わり、水木しげるは自身を「時間貧乏」だと思っていた)。

つまり、年老いてそういう状況を手に入れたうえでの「なまけ者になりなさい」なのだから、受け取るときの文脈を間違えると、"イタい"奴になりかねない。

じゃあ実際にどんな意味が込められていたことばだったか、と言えば、その根っこには「なまけていても食えるような人間になりなさい」があった。

まあ、これも「ああ、そうか不労所得をもらえるようにYouTubeやアフィリエイト、投資とかやればいいんだ」とかそういう話でもないので早まっちゃいけない。

水木しげる曰く「天才でお金もあるからなまけられる」であって、限られた人じゃなければなまけ者にはなれないらしい。

ここで考えたいのが、彼の口にする″天才 ″とは何なのか。それは、彼がさまざまな著書のなかで記した「好きなことを続ける」ではないかとボクは思っている。

「好きなことを仕事に」という今風な話ではなく、それが金になるのかどうかは気にせず「好きなことを続ける」である。この「続ける」ことが案外むつかしい。

それを何十年にも渡ってやってきた水木しげるはその才能があったのだろうし、そのなかで培った発想と技術が、結果お金となり、だからこそ天才と自負できたのではないだろうか。

少し似たような考え方として、ちょっと前にこんなツイートを見つけたが、まさに水木しげるはこれをやってのけたのだろう。

・・・・・・と、いろんな解釈ができる、水木しげるの言葉には妖力があるんじゃないか、とだんだん思うようになった。へんに呑み込まれてしまうと、地獄につづく危うい道をも渡りかねないので細心の注意を!!! そんなことが言いたくてここまでたらたらと書いてしまった。

ずっと妖怪的な人だとは思っていたものの、その習性については謎ばかりだったのだけど、やっと掴めた気がする。

水木しげるは、仕事でモヤモヤしてる人の前に現れ、紛らわしい言葉で惑わしながら、なまけ者化を誘ってくる(現代的)妖怪なのだ。

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