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コンディションと、物怖じボーイ&ガール

 コンディションが大事なんすよね。

 自分が今どんな心理状況にあるのか。たとえば、恋人にフラれて哀しいだとか、仕事で理不尽なことに遭遇して煮えきらないだとか、滞りなく物事が進んだからいい日でハッピーだとか、その前提を抱きながら、今目の前にある物事を判断していかなくちゃいけないのが人間だ。

 それを前の感情を引きずったままに、物事の経過を眺め、相手の言葉を受取り、選択しようとするとどこかでズレが生じてくる。こういうときほど事実をもとにした冷静な判断が求められるのだけど、それは分かっちゃあいるけど中々にできないのも人間だろう。

 何が言いたいかっていうと、自分のコンディションが悪かったから、あのときのあの発言はよくなかったかもなあ、という反省文を書かなくちゃと思って、こうやってnoteで書きなぐっているだけです汗。

 どこの放送回だったか忘れてたが『太田松之丞 悩みに答えない毒舌相談室』で、「毒舌の人にどう向き合っていくのか」みたいな話があったとき、講談師・神田松之丞が「もう(受け手の)コンディションの問題じゃないですか」とスパッと言っていたけど、ホントそれで、自分が弱ってるときやムシャクシャしてるときだと、相手の口から飛び出る“毒“への抵抗力も、その意味の浸透のし方もえらく違う。

 だれかが冗談として放っている毒も、ちっとも面白がれなくなっている。自意識過剰に、自分のこと攻撃されてるんじゃないか、とすら思う。そういうコンディションだと、何を聞いても「すべては世界が悪い」となっちゃうからしょうがない(でも、自分の鬱憤が溜まってるからって、匿名のSNSで憂さ晴らしのように罵詈雑言を吐きかける大人はやっぱりクソだと思ってしまう)。

 すんません、コンディションが悪かったんだ許してくれ。とまでは思わないだけど、関わっていく人がいる以上は、みんながそのコンディションを抱えながら日々を暮してるわけで、物事を進めるときにみんながみんなベストコンディションなら良いのだけどそんなわけもいかないから、世の中はむつかしいよねぇとは思うわけで。

 「パワプロ」という野球ゲームだと各選手に調子があって、どんなに調子が悪かろうが、勝ち投手にならなきゃいけなかったり、ヒットを打たなければいけない。そこまでのプロフェッショナリティを相手を求められるもんでもないけど、少なくとも場を取り仕切る役割を担うならそういう意識を持ってなきゃあかんな、と気が引き締まりました。

 さて、太田松之丞での話で思い出したのが「物怖じするやつ」の話。「そういうやつは嫌いなんだよね」という言葉がこぼれ出てきたの観てて、ああなるほどなあ、と思ったのだった。

 無知だから物怖じしない、というのはさて置き、相手がどんなに偉い人だと分かっていたとしても物怖じしないやつはやっぱり一緒にいると心地が良かったりする。

 ボク自身が「したっぱ根性」のやつが嫌いなのはあって、すぐに相手に媚びたり、立場が違うからと言って発言を控えたりするやつをみると、すぐに苛立ってしまう(情けない話、もうコンディションの問題というより、性質の問題)。

 以前ここでも書いたフリーランス的にやべえな思う人のタイプについて考えてみても、やっぱり「物怖じするタイプ」なわけである。

 フリーである以上は、経験スキルがどうとかってのは関係なく、それぞれがたがいに自分がそこに関わる意味・価値を出し合いながら、対等な立場でディスカッションを重ね、プロジェクトをいい方向に研ぎ澄ましていかなくちゃいけない。

 そこで「したっぱ根性」を出されて、「ぼくなんか/わたしなんか...」という態度をされても困るし、おれはおめぇの上司でもなんでもないし、その気にかけてアプローチする時間がもったいねぇ!と思ってしまうわけだ(もちろん、今後長い付き合いをしていきたいと感じるような若手の子に対しては経験値を考慮しながらのコミュニケーションは気を付けるのはあるけど)。 

 言いたいことが言えないそんな世の中はポイズンなんだけど、自分の意思で言おうとしないのもポイズンだし、そういう仕事をしようと決めたのは自分なのだから、ビビってる暇なんかないぞよ。

 わりと強めな言葉を並べてしまったから「ぞよ」という語尾で逃げてしまったけど、そういう気持ちでいっぱいなのは確か。

 それと、物怖じしてしまう理由はきっと「覚悟がない」からなのだとふと思ったりもした。ルーキーである事実は変わらないとて、相手の胸を借りるつもりで全力でぶつかっていくような気力がなく、「どうせ経験スキルが足りないし...」とどこかに逃げ道をつくっているような姿勢に、覚悟のなさを読み取ってしまう。

 劇作家・小林賢太郎の著書『僕がコントや演劇のために考えていること』で、芸人がバイトを辞めるタイミングをどうするかについて触れるような話があったが、バイトという逃げ道を残しておくせいで可能性があっても芸人として大成しにくいみたいな話があったが、それも覚悟の話だったと思う。

 ボクがその本を読んだのは、フリーランスとしてどうしていくかを悩んでいた時期だったのもあり、一つ大きな決断をできたという勝手に恩を感じてる本でもあった。

 と、いつもの通り、余談が過ぎたけど、太田松之丞のおかげで、自分がある人に抱えていた違和感がなんとなくわかったのでありがたかった。日々抱えてる心の内のモザイクが外される(言語化される)瞬間ってのは気持ちいいもんですね。

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