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料理は、企画会議|炊事をめぐる考察②

料理は『ものづくり』と『はじめる』ことを考えるためにはいい

たしか前回は、そんな話を書いたんだったけな。

2週間滞在するシェアハウスのまど間では、自炊しかしていない。スーパーに追加の買い出しに行くときも、「残り何日残って、あのでっかい冷蔵庫にはあれとあれが入ってて・・・」と学校で習った数学方程式ではなかなか解けない計算式に挑んでいる。母親のすごさってここにあるよね、とふと思ったり。

さて今回は、「自炊」そのものの効果について考えてみる。

ぼくの場合は、仕事と仕事の間に料理をすることが多い。具体的にいうと、記事を書いたり、企画を練ったり、という作業と作業の合間に、ご飯をつくっては食っている。

昼食と夕食は、確実にそうなるし、すこし小腹が空けば、すぐに「なんか作るか」となってしまう。あとは、作業に詰まったとき。「あああ、うまく整理できない」「こりゃアイデアが出ないぞ」というピンチのときには、考えてもしょうがないから、手を動かすようにしている。

すると、不思議なことに、今まで詰まりに詰まってたくせに「あ、」と一瞬で突破口が見えることがある。「押してだめなら引いてみろ」ならぬ「座ってだめなら作ってみろ」ということか。

机の上で考えることが「静的思考」であるならば、キッチンでの「動的思考」という二つのパターンがあることに気づく。後者は、包丁で切ったり、フライパンを振ったり、お肉や野菜の火の通り具合を気にして鍋を見つめたり、「〇〇しながら思考」なのだ。これがね、意外といい。

「今やることがあって、ご飯なんて作ってる場合じゃないよ」

と、昔のぼくなら思ったのだろう。それに対して、今のぼくなら「いや、なら余計に、自炊してみなよ」と返しちゃうだろう。「料理は、企画会議」なわけで、それなら、仕事として自炊を考えてみたらどうか、と。

考える作業がしっかりしていれば、手を動かす作業はすっきりと終わる。

お家で仕事をするときは、自炊も仕事の一部として捉えるし、むしろ机の上でノートやパソコン向かうときの作業能率をあげるための円滑剤として、料理を位置づけられるかもしれない。

まあ、自炊に限らず、洗濯とかお風呂掃除とかも「動的思考」につながるものだとは思うけど。あ、そう考えたら、家事をこなしているお母さんお父さんって実はアイデアマンなのかもね。

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