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「コワーキングスペースなのに全くコワークしてない!」という現象について考えてみた。

コワーキングスペースが”コワーク(co-work=一緒に働く)”せずに、電源とWi‐Fiとシャレた空間があるだけのただの箱になっている。ざっくりいえば、そんな光景を幾度となく見たことがある。

ざっくりルー大柴風にいえば、運営者「トゥギャザーしようぜ~」→利用者「お、おう、、」みたいなお寒い状況がそこにあるわけだ。不思議なもんで地方だとその率がちょいと上がる。

つまり、ハードとしては電源もWi-Fiも広く使えるテーブルもあって作業環境は整っているけど、運営者がどこか淡泊であったり、利用者同士の距離感が掴みにくかったり、なんかうさんくさそうな利用者が多かったり、ソフトとして精神的な使いにくさがあるコワーキングスペースのこと。

地方でよく耳にするのが「ここらへんは作業できる場所がないからコワーキングスペースつくろうよ」という声なのだが、そのノリだけでつくってしまうとたいてい遊休スペースになり果ててしまう。

特に補助金前提の行政案件として「地域のなかにコーワキングペースを!」とつくられているスペースこそ危うさがあるのだ。

これまでコワーク機能を備えた場を運営をしたり、取材などでさまざまな場の運営者の話を聞いてきたこと、さらに自身が各地でいくつものコワーキングスペースを利用してきたことを踏まえて、思うところをまとめてみる。

マーケティングが抜けがち。

コワーキングスペースが機能しない理由ってなんだろうなぁと考えてみると、大きく二つあって、一つは「マーケティングがなされておらず、そもそも人が集まっていない」ということ。

たとえ「作業できる場所あれば、○○さんが使いたいって!」という生の声をもとに作られたとしても、実際問題、どれくらいの利用者を見込めるのだろう。場と人が、人と人が混ざるにはそれなりに数が必要になるはずだ。

たとえばの話、ぼくが今いる大山町であれば16000人ほどの町だけど、コワーキング利用者になりうる層を20~44歳としてした場合、3567人となっている。ここからざっくり数字で考えてみたい。

さて、コワーキングスペースの利用者の多くは、フリーランスである。

あえて専業主婦/主夫人口は抜かず、農業漁業など一次産業従事者が多いかとは思うがそこも考慮せず、都会と田舎とは比率も大きく異なるだろうが人口比17%をあてはめてみると、仮説上は606人がフリーランスということになる。

この606人のなか、どこか決まった場所に通う人もいれば、在宅ワークする人もいるし、カフェなどでノマドワークする人もいて、さらに割合は分かれる。

さらにいえば、ノマドワーカーであっても、毎日同じコワーキングスペースに通う人はどれだけいるだろう。さまざまな場所を回遊する人もいるはずである(自分はどちらかと言えば気分に合わせてあっち行ったりこっち行ったりの回遊派)。

また、母数(潜在層)に対してコワーキングスペースのPRがどれだけできるのか、競合するスペースがあれば少ない中でパイの取り合いにならないか、などの観点も考慮しなくてはいけない。

何が言いたいかというと、これは継続可能かどうかのビジネスモデルに関係してくる。もし一日利用のドロップインが1000円だとして、月額フリーアドレスで10000円だとして、ここからどれだけの収益を見込めるのだろうそもそも、その価格で利用する人はどれくらいいるのか)。

(もちろん、町外からの利用者も見込めるだろうが、年単位で考えれば、たかが知れている)

というような、数字を考えながらある程度は踏まえてからはじめたほうがいい。行政などで大きなお金が動くのであればなおさらのこと。

まあ「マーケティング」という若干イキってる横文字の意識まで行かなくとも、「どんな人が使うのか」という利用者層のイメージくらいは最初に考えてみたほうがいいのではないかと思う。

コワーキング体験のない人がコワーキングスペースをつくるという落とし穴。

大きな理由の二つ目として考えられるのは、コワーキングスペースつくろうぜ!と意気揚々と言うわりには、あるいは、その運営者になろうとしているくせに、自身がコワーキングスペース利用したことないというユーザー目線が欠けていることだ。

体験が抜けて落ちていると、スペースに対して利用者にどんなニーズがあるのかを想像しにくい。あえて再度強調して言えば、想像力が欠けるのは自身の体験が不足しているからだろう。

そうやって、「とりあえず電源とWi-Fiと~」というように、どんぶり勘定なコワーキングスペースがつくられていくのと、死にゆく場になりやすい。

もちろん、(潜在的)利用者にヒアリングをしながら随時アップデートしていけばいいのだが、そのコミュニケーションがうまくなされていない場があるから問題なのである。

「この距離感は圧迫感あるなぁ→テーブルやイスの間隔を再調整しよう」

「雑音あるから打ち合わせには向いてないかも→超サイレントな作業部屋もつくってみよう」

「どんな人がこのスペースを使っていて、どうやったら似たような感覚の人とつながれるかなぁ→職種やテーマに合わせたミートアップイベントを企画しよう」

など、「自分自身が快適に使え、学びや情報を共有でき、だれかとコラボできる可能性があるほうが、仕事や働き方が豊かになる」という、ただ仕事をするだけじゃない付加価値の意識を持って、場を運営できるのとできないのとでは天と地ほどに場の深みに違いが出る。

一人で作業するだけなら、だれにも邪魔されないスタバでいいのだ。コワーキングスペースがカフェに勝てないときの理由はそういったところにある。

何度も言うけど、体験は大事なのだ。よく、場として/事業としてうまくいってる(とされてる)コワーキングスペースに視察に行くだけで満足する人がいるけど、それだけじゃ物足りない。

極論を言っちゃえば、マーティングうんぬんもどうでもよくて、体験することなく、成功モデル(と失敗モデル)を眺めて、頭のなかだけでこねくり回して生まれ、生まれたあとも育児放棄している場はどうしようもない。持続可能性が低く、もったいない。

コワーキングスペースは裏テーマでもいい

「コワーキングスペースをつくらないほうがいい」と言いたいわけではなく、「どうせつくるなら、よりよく使ってもらえるように利用者のことを考えながら場を設計し、アップデートしていこうよ」というのが本意である。

あと、よく言われてることかもしれないけど、どちらかと言えば「コワーキングスペースは目的ではなく手段」なのだから、わざわざ地方の人にとって近寄りがたい”コワーキングスペース”という名称を使わなくてもいいわけだ。

”本屋なのに勝手にコワークしてる場”もあれば、”レコード屋なのに~という場もあるのだから、一緒に仕事ができる環境(機能)をどうやって場に実装するかを考えるほうが大事だろう。

それは結局のところ、「どんな人に使ってもらえることを目指しているのか」という人のイメージがあって、ことばを選び、場をハードとソフトで整えていくだけのこと。

コワーキングスペースにかぎらず、「シェアオフィス」なんかも同じような類だと思うけど、過去noteでも書いた”数値化できないもの”の取り扱い方はこれから場をつくろうって人は意識したほうがいい。

ちなみに、関連しそうな過去noteはこちら。自分なりの場に対する考えを綴ったんだけど、なんか偉そうに書いてしてまって反省なんだけど、自分自身の苦々しい失敗をもとに痛々しく思ったことだったし、これからつくる新しい場に対する決意表明みたいなもんでもある。

さて、どうなるのやら。やってくなかで言ってることと違うだろぉぉおお!と違和感覚えたらいつでもツッコミくださいませ。noteはそのときに向けたタイムカプセルみたいなもの。

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