許す視点が欠ける今。

「自分で自分を許可する」って大事だよね、などと書いたことがあった。だれが止めてるわけでもないことを、しのご言わずにただやればいいだけのことを、自分のおくびょうな気持ちのためだけに停滞させてしまうことがあるのは、おそらく自意識の問題だ。

元々ぼくはムダに自意識が強くて、これまでできてなかったことが多くあったことを反省していて、だからこそ、自分がやろうとすることに対して、まずは自分で許可することを意識的にやるようにしている。

ただそれだけでも足りないのかもなぁ、とふと最近思うようになっている。自分を肯定していくためには、これからの自分を「許可する」というだけでなく、これまでの自分を「許す」ということも必要なんじゃないだろうか。

ひょんなことからスタンダップコメディの舞台に立つことになった女性を描くドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』を観ていたら、次のようなセリフがあった。

許すとは脳が過去を別の視点で捉え直すことだ

ストーリーのなかでも重要なセリフでもないのに、えらく気持ちが持っていかれていた。それは、作品の登場人物に対してではなく、自分に対して吐き出された言葉のように思えたからだろう。「自分で自分を許す」ということがうまくできていない自分に対する不憫さがあった。

許せていない過去の自分がたくさんいて、それらを重荷に引きずりながら、今日ここまできていて、これからの人生でどう清算していけばいいのか、と無意識的に考えている自分がいたのだろう。いや、そういう自分が確実にいる。

パンツを脱がずにいたから、きっとそういう自分を見つけられずにいた、あるいは、見つけていても都合のいいように忘れていたのかもしれない。

年末年始が終えるころまでには、このまだギリギリ掴みかけれている感情をもうちょいたぐり寄せて、自分に対する「許可」と「許し(あるいは赦し)」についてじっくり向き合ってみたい。

とりあえず言えることは、自分を許せないからこそ、どんなことがあっても他人を許せるような自分でありたいということ。

さて、ミセスメイゼルみたく舞台に立ってネタとして話せるくらい過去と遊べる人間になれるだろうか。ズルくてダサい自分をこらしめるための戦いが今はじまる。

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てへぺろ
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ケケケの日記

「ハレ/ケ」のケのことを気にして、記録していく日記(のようなもの)
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