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補助輪を外して

慣れようともしない、慣れる前からあきらめてしまっている自分がいたとしたら、ひっぱたいてやろう。

たしか、小学一年生のときだった。生まれてはじめて、自分の自転車を買ってもらったのは。クリスマスの夜がすぎ、朝、土間のある玄関に行ったら、ピカピカの自転車が待ち構えていた。今じゃ考えられないくらい、驚いて、はしゃいで、キャッキャしていた。

うれしすぎて、すぐに乗り回していたが、すぐに違和感が出てきて、乗るのを止めてしまった。自転車についていた補助輪が気にくわなかったのだ。ずっとほしかった自転車も、上級生たちが乗ってるような補助輪のないスマートなやつをいっちょ前に描いていた。

すぐに父親に頼んで、補助輪を外してもらった。そして、家のまえの通りでひたすらに乗る練習をした。その通りは、直線がずーっと先まで伸びていて、車もあまりとらないので、練習するには最適だった。

練習をはじめるも、そりゃそうだ、すぐに乗れるわけもない。大きなペダル小さな足で漕ぎ始めると、1mも進まずに、右に左によろけ倒れる。

普通であれば、転倒防止のために肘やひざに硬めのサポーターみたいものを付けるが、妙な意固地でつけることなく練習するもんだから、すぐに擦り傷となる。それでも、泣きべそなく、一人で黙々と漕いて転んで漕いで転んでを繰り返していたんだから大したものだ。

今思えば、サポーターをつけなかったのも、そのときの自分なりの美学だったのかもしれない。仮面ライダーやら特撮のヒーローを観すぎて、傷があることがカッコいいと思っていたのか。

さらに、付き添いなく一人でやっていたのも、おそらくそボロボロな努力を見せたくないという想いがあったからで、いつの間にか乗れていた、という卒ない姿を親なり友達に見せたかったからだろう。

こういう性分ってのは、30という歳になっても、少々引きずってる部分もあるのだから、三つ子の魂百まで、ということばにも唸ってしまう。よくできた諺だし、ダサさを隠そうとするダサい自分にあきれてしまう。

何度も何度も転んでいると、痛みにも不感症になり、転ぶことも平気になり、強張っていたせいでバランスとるのが下手くそになっていた体も、無駄な力が抜けて、重心を意識するようになる。すると、1m、3m、10mと転ばずにスーッと自転車が走っていく。はじめて、風の心地よさを感じる。

もはや転ぶことなく、どこまでも走っていける。そうなったとき、嬉しくて嬉しくて、だれかに伝えたくて、家まで駆けて行ったのを覚えている。

乗る練習をしばらくやっていれば乗れるようになる。自転車は慣れだと思う。ほとんどの人が自転車(や車)に乗れるのと同じように、慣れるための反復が、経験となって結果を生んでいく。

そして、転ぶことも慣れのひとつで、転ぶことに慣れてしまえば、転ぶことは、転ぶ前よりも怖くなくなる。

そんな昔のことをふと思い出したのは、オードリー若林の『社会人大学人見知り大学卒業見込』を読みえたからだ。「卒業論文」として書かれた一節にこんなものがあった。

慣れは強い。
成長や主義よりも全然早くて強い。
とてつもない才能を持っている人に対して抱く敗北感にも、
コンビの関係性に理想を投影されることにも、
自分の主義主張を時には捨てることにも慣れていく。
これがよく聞いていた「大人になる」ということだろうか?

習うより慣れろ、ということばがあるように、慣れてしまえばへっちゃらだい、と思うようになったのは、補助輪抜きの自転車練習があったからかもしれない。

とはいえ、あくまで思うようになっただけで、体が反応するかっていうと別の話だ。歳をとると筋肉だけでなく心まで退化しまうことが往々にしてある。

30年間を振り返ってみると、慣れようともせず、慣れる前からあきらめてしまっていたことが少なからずあったように思う。自分が思うダサいが20代にはたくさん散らばっていた。

とにかく、20代の自分を心でひっぱたくことは終えた。あとは、これからの自分にそういうことがないように、今まで以上に、慣れをおもしろがるだけ。

悩んでいる暇があるなら、慣れたほうが早い。習うよりも慣れろ、それよりも、悩むより慣れろ、を採用しようじゃないか。

たぶん、ビビらなくても大丈夫、あのとき、転ぶことに慣れたのだから。いくらでも転びなさい。転びまくって、後ろでも前でもいいからでんぐり返ししてみて、すぐさまピンと立ち上がり両腕をひらけて空へと伸ばし、体操選手のごとくフィニッシュポーズをとっていれば、なんだか雰囲気だけは出そうだしね。

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