自分ルールを破る。

ことばのやり取りに集中しちゃって手がつかなくなるので、ラジオを聴きながら(考える系の)作業はしないようにしている......けど、たまには「ダメだと思うことをやってみよう」と思って、オードリーANA(タイムフリー)を聴きながら今noteを書いている。

”耳に流れてくるのはBGM”という認識であれば、手は何ら変わらず動くけど、そのBGMをコンテンツとして(何かしらの情報を抜こうとして)聴いちゃうからいけないんだろうな。

だから普段は聴きなれた音楽を聴きながら.....と書いていたら、似たようなことを過去にも書いてたみたい。

いろんなちっちゃなことが気になってしまう質なので、作業に没頭したいときは、新たな情報が少ない、聴き慣れている曲を聴くようにしている。

これは恥ずかしすぎる。思考がループしちゃってるのはなんだかなぁ。

まぁだから今、そのループを脱したいと思ってあえてタブー(自分がダメだと思っている)に触れているわけか。

そのおかげか、こうやって過去記事にあったなぁと思い出しただけだったけど、ついでにMediumに書いてた他の過去記事をぷら~っと見直していると、気になるものを見つけた。

「自分が努力してやってきたことは安売りしたくない」という記事を読んでの感想をちょいとまとめた記事で、「物や技をコミュニケーションにどう活かすか」っていう自分なりの問いについてまとめていたみたいだ。

これは2017年2月のもので、去年くらいのものだけど、もっと過去にも似たようなこと書いてたなぁと思い出し、探してみると......あったあった。

こっちは2013年8月に書いたやつだ。ということは、ぼくがホームレス生活をしていた時期で、京都にいたときの話だなこれ。

ホームレスだったのがいつの間にか家を持つようになったり、数年で変わったことがあるなか、そういう意識に何ら変わりがないのはうれしい。

ただその反面、「その問いが未だにあるのは、自分の状態が変わり切ってないからじゃあ?」という疑問もあって、もっと精進せねばですなぁと思うこともあり、なんとも言えない気持ちだ。

まぁ何はともあれ、「ラジオ聴きながらじゃ書けない」と思ったけど、やってみると意外といけるもんで、予期せぬ広がりがあって、懐かしい気持ちにもなれたし、あえてタブーに触れてみる(自分ルールを破ってみる)ってのも悪くないのかも。

そうそう、固執してちゃダメだよね。であれば、「ときどきルールを破るというルール」を追記することにしようかな。

さて! 特にオチもなく終わります。




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