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「生み出す」よりも「見い出す」

新たなものをつくるよりも、今すでにあるものを見直し、たとえ”負”とされているものでも、視点・角度を変えることで、素材そのものを活かす道はないものか。

いつも、そんなことを考えている。そもそも「クリエイティブ」というものは、ゼロから「生み出す」よりも、課題を整理することですでにあるが隠れている答えを「見い出す」作業に近い気がする。

というのは、書籍『佐藤可士和の超整理術』からの受け売りみたいなもんだけど、そういう仕事に関わるようになってから、その考え方が身体化してきたのはある。

だからこそ、大事なのは”現状/病状”を理解することがまず大切なのであって、そのためのヒアリングが一番重要だろう。「聞く」というよりも、注意深く、神経をとがらして、相手の声を「聴く」イメージ。さらには、”うまく”聴くことが求められる。

建築家の人は、設計図を描くのが仕事だと思われがちだけど、実際には、設計を依頼してきた人がどんな空間の使い方をしたいのかを綿密に聴いて、本人すら無意識であった願望などを引き出しながら、ニーズを確かめ、そのうえで設計図をつくるという。

つまり、建築の人であるよりも先に、コミュニケーションの人であるのが求められるということだろう。優れた建築家ほど、このスキルが絶妙とのこと。

ぼくがバーカウンターのなかにいたときも、やはり優秀なバーテンダーほど、お客さんの気分・趣味趣向・味の得手不得手などを聞き出すのがうまい。まるで医者が患者の診察をして、処方するかのようにぴしゃりとハマる一杯をつくる。バーテンダーも、カクテルをつくる人である以前に、やはりコミュニケーションの人だろう。

ライターも似ていて、書く前に「取材」があったとき、ここでうまく話を聞き出せないと(撮れ高がないと)いい記事にはなりにくい。「書く」よりも「聴く」ことが、そして、聴きだすための関係性をどうつくるか、そういった対人スキルに重きが置きれる理由はそれだ。

建築家は「設計」、バーテンダーは「カクテルメイク」、ライターは「ライティング」ができるのは当然で、その大前提があって、課題に対して(相手にとって)最上級の答えを出せるのかが問われてくるわけだ。それぞれ、どんなに描く・つくる・書くがうまくても、そこがズレていたら微妙なアウトプットにしかならない。

少しダレてきたのでまとめると、どんなクリエイティブも、「生み出す」というよりも「見い出す」ことで形づくられ、そのためには繊細なコミュニケーションが必要だということ。

それができる人の適性を考えると、「人が好き」「人に関心がある」ということでしかないと思うのだ。

「建物が好き」「酒が好き」「書くのが好き」のような「○○が好き」という気持ちだけでは、どうしてもクリエイティビティは発揮されないし、おそくらプロフェッショナルにもなりきれない。人と課題に向き合うこと、答えはすべて対象の中にしかない。だから、見い出す力を。

ふと、異性の好意を見い出せる力があればどんなにいいことか、と思ったり。自分の下心を不本意にも見い出してしまった...。

(あ、でも、相手も自分の中にある何かを見い出さないとそもそも恋なんてのは生まれないんだよなあ。と、そんなことを考えはじめたら、話題が大きく変わるので、ここらへんでブチ止めます)。

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