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なかないって決めたのに

初めてのことをやるとき、覚えることも多くって、慣れている人たちのスピードについていくのにも必死で、泣きたくなる瞬間が幾度となくある。

だけど、悔やんで立ち止まってる時間もなく、まわりの動きに合わせ七転び八起きの精神でただただ動き続けるしかない。

プロとして飲食で食っている人たちにがっつりと混ざったとき、そういう感覚で毎日を過ごしていた。帰宅の電車のなかではいつもきついなーなにがダメだったんだろーと考えながら乗る京王井の頭線は、ぼくのなかでは注意反省線であった。

......と、懐かしいことを思い出したものの、したかった話はあそびのこと。先日、ひさしぶりに麻雀をした。よくあそびにくる友人と同居人との三人で。

ぼくは小学校のときにパソコンゲームで麻雀を覚えただけなので卓で打つのはあまり慣れていないが、同居人はルールすら知らなかったというあんばいで、「まぁやりながら覚えましょ」と友人が教えながら打っていくことに。

14枚の牌を、基本は3・3・3・3・2の多様な組み合わせでもって役(型みたいなもの)をつくっていくゲームなのだが、相手が揃えようとしてる役を捨て牌から読んだり、すばやく取捨選択をしながら最善の役づくりのため臨機応変にシフトしく判断力、また欲しい牌を引き寄せる運もあいまって、やればやるほどに奥深さがある。

麻雀を初めてやる彼女は、ツモる(1枚引く)ときの13枚を、自分にわかりやすいように並べていて、なんとなく、ああこの3枚は揃ってるんだなぁ、というのが見え見えだったり、横でなく縦の前後で離して牌を揃えていたりで、その光景がおもしろおかしい。

どの役を揃えるか、並びを確認しているときに声をかけようもんなら、「黙ってて、今はポンに夢中なんだから」と口にし、ああ、(ポンで)鳴こうとしてるんですね、ということがわかる。

でも、わかる、覚えたてのポン(捨て牌を拾って同じ牌を3枚揃えること)はやりたくなる。

ちょっとすると、友人があまり鳴きすぎないのがいいですよ、と彼女に助言する。「始めたては、とにかく鳴かずにリーチして上がることを意識して、それから上がったときに役を確認していくかんじで」という話だ。

よしわかった、と同居人はフンと鼻息荒い、ギャク漫画のキャラクターのような表情で、牌を積みながら新たな局(ゲーム)が始まっていく。順調にまわっていると思いきや、しばらくすると、うんうんと頭を抱える同居人。そして、友人の捨て牌を超凝視。

おそらく、その捨て牌を拾って、鳴きたいと思ったのだろう。でも、先ほどの友人のアドバイスを聞いてたのを思い出して、葛藤!ジレンマ!という表情であった。そして、ふと彼女はこうこぼした。

「鳴かないって決めたのに......」

結局、言われた通り鳴くことなくゲームは進んでいくも、なかなかリーチに辿りつけず、時間も深夜だったというのもあり、その日は対局を終えた。

今回は三麻だったけど、四人だと流れも大きく変わってくるし、だれか声かけてやってもいいかもね、もちろん三人でも、また時間があるときにやろう、と約束した。次が楽しみだ。

初めてのことに向き合ってる人を横目でみるのは、いろいろと発見があっておもしろいなぁと思ったのがひとつ。

また、初心者といっしょに進めることで、自分の初めてのときの記憶が甦ってくるから、懐かしさがこみ上げてくるし、ものによっては初心を忘れちゃいけないなぁとかるく頬をはたかれるような気分にもなれる。

だから、”だれかの初めて”には積極的に立ち会うようにしたいよね、というのがひとつ。

そのふたつが学びというか感想で、一番は「ポンに夢中」と「鳴かないって決めたのに」がフレーズとしてツボったので、これは書き留めておかねばと思っての日記でした。

(ちなみに、この日の対局でダントツの最下位がぼくだったというのは内緒です。スマホアプリとって、リベンジに向けて鍛錬中でござい)


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