見出し画像

”年齢もの”に弱い / 老いというベタ

「二十歳のとき、何をしていたか?」

 この文言をSNSで見つけて、すぐに本屋の雑誌コーナーに向かった。気持ちが盛り上がると、すぐに動きたくなってしまう。ちょうどTSUTAYAスタバにいたのも幸いだった。

 ボクは”昔から”年齢もの”に弱い。学生のときもそうだった。沖縄から上京したものの、自分のキャンパスライフに疑問を感じていたとき、足繁く通っていた研究室でふと見つけた本があった。

 正直タイトルは覚えていないけど、「学生時代の10代終わりから20代始めをどう過ごしていたか」、作家や研究者など多くの学生時代が綴られたオムニバス本だった。夜通し徹夜で小説を読み漁った、アメリカ横断の旅に出た、飽きるほどに恋愛をしていた、ひたすらに脚本を書いていた、など人の数だけたくさんの軌跡が記されていた。そして、ボクはいくらかの希望を活字のなかに見いだした。

 ボクが「学生時代は可能な限りの職種をバイトで経験してやろう」と思ったのはこの本を読んでからだったと思う。おかげで、イベント会場設営、治験、キャバクラのウェイター、家庭教師の営業、ポケモンカードのお兄さん、ジムトレーナー、など幅広い職業を体験できた(ちなみに、花屋で働けなかったのが少々心残り......)。おかげさまで覗けた小世界は多く、それが今の価値観をかたちづくり、自分の落ち着く居場所づくりができていると思う。

 また、20代半ばに「ハチナナ・ハチハチ」という1987年生まれと1988年生まれがライターとして記事/エッセイを書くブログメディアを運営していた時期があった。最初は会社の同僚5人で始めたものが、少しずつ知り合いづてで広がっていった。自分は素人に毛が生えたくらいのクオリティの文章だったけど、一瞬バズる記事があったり、いろんな書き手と出会えたのはいい経験だった。

 大学時代に出会った一冊とハチナナ・ハチハチ、どちらにも共通点があった。

 それは「同等の時間を生きてきた人が、その時間をどう過ごしてきたか、そして現在どんな考えを持って、どこでどんなことをしているのか」を知るための媒介(ツール)であったということ。

 どうも「ビフォ&アフター」の変化の過程を眺めるのが好きらしい。

 そうそう、それで思い出したのが、小学生のときはわりと読書好きでよく読んでいたのが、シュヴァイツァーや勝海舟、ライト兄弟などの人生について記された偉人伝シリーズだった。歴史に名を残すような人、天才と呼ばれた人たちも、「最初からみんながみんな凄かったわけじゃないんだなぁ」と幼いながらに感じたものだった。

 人に歴史あり。その考え癖が染み付いたせいか、気になる人がいるとすぐにWikipediaを開いてつい略歴を調べてしまう。さきほどのモヤモヤを抱えていた学生時代には爆笑太田やビートたけしがどんな学生時代を過ごしていたか(両者とも退学してるが)を知って、へぇーーーと興奮したものだった。

 どんな人であっても、その人の現在の姿・思考・能力は、何もすることなく勝手に身についたものじゃない。さまざまな経験値を積み、多くの人やものに影響を受けながら、考え、悩み、いくつもの行動を貫いてきたからこそあるものだろう。

 人がどう生成されていくのか。その興味は尽きない。

 また、主観では相対的だけど客観では絶対的なのが”時間の経過”である。「あの人と自分では何が違うんだろ?」という疑問が湧いたとき、特定の年齢にフォーカスしてみると、同じ土俵に立っての比較ができる。すると、見えてくるものは多い。

 そのせいで「あぁ悔しいな」とへこんだり、そのおかげで「そっか最初はそうだっのか」と安堵したりもすることもあるけど、全ては学びになるし、新たなモチベーションを生むことだってある。
 
 だから、年齢はおもしろいし、”年齢もの”に弱いのだ。芸人マキタスポーツが「メタよりベタ」を提案していて、恋愛や結婚などのライフイベントは時代や国を縦横に越境する究極のベタとしていたけど、だとすれば、年齢(老い)は超究極のベタじゃないか。

 ということもあって、超究極のベタ比較をするべく、冒頭の言葉がそっくりそのまま本題になっている雑誌POPEYEの特集本『二十歳のとき、何をしていたのか?』を勢いでレジで持っていった。リリー・フランキー、みうらじゅん、瑛太、三四郎・小宮など総勢95名の二十歳をインタビューで覗ける。まだ積読しているのだけど、読むのが楽しみでしょうがない。

ここから先は

0字

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。