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ずっとパンツを穿いたまま。

毎度そういうわけではないけど、文章を書きながら、自分を裸にしようとしているときがある。

本当はどんなことを思っているのか。べつに普段嘘をついてるつもりはないけど、気づかぬうちに嘘をついてしまっていることはおそらくあって、自分が思ってもいないのに「自分が思っていること」と塗り固めて、外に吐き出してしまっていることは少なからずあるような気がするのだ。

小さいころは、心が裸だった。自分が思っていることは、相手のことなんて一つも気にしないで、自由奔放に言っていた。

それが大人になれば、人間関係がいくらか複雑になり、個人としての自分よりも、社会人としての自分を優先するもんで、自分が心底思っていることを見落としやすくなる。四季なんて関係なく、心の重ね着は増える一方で、一人になったときですら、裸になりきれないでいる。

自分が知りたいのは、自分が素直に思っていることだけ。それがわからないことには、嘘が土台になって物事が積み重なるので、自分のもろもろも本質的にはよくならない。

そういうなかで、日常のなかに突如現れる追剥のように、身ぐるみ剥いでやるわ!(自分で自分にインタビューする感覚に近いのかも)というノリでやっているのが、ぼくにとっての「書く」ということであり、noteで日記をつけるということだ。

ここ1ヵ月くらい綴ってきたけど、まだピンとこないというか、自分で自分にうさんくささを感じるときというのは幾度かあって、まだぼくは裸になりきれていない感覚がある。

でも、わりと脱げているとは思うのだ。マフラーから外して、コートに靴下、セーター、シャツ、ズボン、そんでヒートテックまで。ただ肝心の下着だけが脱げていない、そんなかんじ。

ここ最近は、ずっとパンツを穿いたまま。

noteを続けるなかで、今の”恰好”がわかったのはよかったとして、とりあえず、早くモザイクを入れさせてくれよ、と思いながら、今日もnoteを綴っている。

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