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わたしがオジさんになったら

長距離移動のなかにある雑談ってのは、意外なところで気づきがある。

鳥取大山から大阪までは、高速を使えば、車で3~4時間ほどで行ける。先日の関西滞在のさい、偶然にも大山と大阪を二拠点生活しているカメラマンと出発日が同じだったため、彼の車に同乗させてもらった。

たま~に一緒にインターネットラジオをやるくらいの関係性ではあるので、わりと彼もぼくもおしゃべり好きだ。それもあって、車中ずっとしゃべりっぱなしだった。

ざっくりとした近況や、大山界隈の地域情報、これからどんなふうに商いをつくっていこうとしてるか、作る人と批評する人、最近よく聴く音楽など何個かのトピックに触れながら、ゆるゆると話が進みながら、大阪へと向かっていく。

それがどんなトピックのときだったのかうろ覚えなのだが、「どんな大人でありたいか?」という疑問について考えるタイミングがあった。みうらじゅん、所ジョージ、リリーフランキー、いとうせいこう、ピエール瀧など、好きなおじさん像をそれぞれの口から挙げていく。

ちょいサブカル臭するわ、偏ってるわ、とツッコミを入れたりして、男二人でじゃれているなか(気持ちわるい)、ふと、彼がこんなことを言った。

「おじさんでいる時間のほうが長いんだから、どんなおじさんになりたいのかってのは、わりと大事かもしらんね」

ハッとした。そう、それは当然のことなんだけど、言葉として意識していたことではなかった。ぼくらは20~30代の今を「若者」としてどう過ごしていくかに少しばかり必死なのだけど、もうそれも間もなく終える。

29のぼくと30の彼は、”若者とおじさんの狭間”にいるような気がしてて、どっちつかずの中途半端な立ち位置にいるように感じる。若者をそろそろ去ることを考えつつ、快くおじさんの扉にノックしなくてはいけない。

仮に、80才で死ぬとして、線引きは難しいが独断と偏見で36才あたりを「おじさん」として、65歳くらいからを「おじいさん」としたとき、おじさん期間は約30年もある。赤ちゃんは1年程、少年も青年、(長生き次第だが)おじいさん期間も15年前後である。一番長いよ、おじさんが!!!

だからこそ、「どんなおじさんであるか」という問いは大事にしていきたいよね、と心に留めた大山~大阪間のドライブだった。

とりあえず、「わたしがオジさんになっても」と変わろうとしないのはダメかもしれない。「わたしがオジさんになったら」それなりの振舞いを身に着けなくちゃ。少年を心はそのまま持っているのは良しとしても、太るし禿げるし姿も変わるし、見られ方も、社会的立ち位置も変わるし、今までのスタンスを変えるのだ。手放すのだ。

あと、彼「おじさんに憧れるおじさんになるのは止めよう」という話にはなった。LEONのジローラモをみてチョイ悪目指しているおじさんみたく、同世代のこと気にするのはなんとなくダサいから、上か下を見たうえで、自分がどういうおじさんであるかを問い続けていけたらなあ。少なくとも、今の時点で「こういうおじさんになりたくない!」ってのは山ほどあるのよね。

目をかっぽじってよく見とけよ、今のおじさんたち、ぼくらがおじさんになったときを。

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