ももたろの中身

今回、タイトルが思い付かず着ぐるみの中身の話でもするのか…?というようなタイトルになりました🍑笑

毎日、BTSは情報だらけで私の心は相変わらず忙しい💫6週連続ビルボード1位、本当に驚いたし嬉しくて昨日はなかなか眠れなかった🥱メンバーも嬉しそうなのがウィバスで伝わった💜きっと!次の新曲にきっとバトンタッチ🤝できるはず✨

新曲ティザーは、冒頭からユンギの笑顔が最高すぎて「ちょ…ま…🤦‍♀️」となりました。語彙を失った…🤦‍♀️最初に持ってた雑誌までも、素敵な意味が隠れてましたね🤫✨

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さて。今回は私のことを、書いてみることにした。好きなことや、人について書くのは楽しくて、時間を忘れるくらいなのに、ユンギのことと 自分のことを書くのは私には難しいらしい。自分のことを歌詞に反映させる彼らの凄さを痛感する😅

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私には、潰瘍性大腸炎という病気がある。今のところ、指定難病の一つである病気。発症したのは高校2年生の夏頃だった。

現在では、そこまで珍しい病気ではないと思うし、聞いたことのある方も多いかと思う。男女問わず 小学生から大人まで 様々な年代の患者さんがいる。

簡単に症状を説明すると、主に「直腸炎型」、「左側大腸炎型」、「全大腸炎型」の3つに分類される箇所に炎症が起き、発熱、下血、粘血便、貧血、体重減少、倦怠感、腹痛、膨満感、残便感、しぶり腹、食欲不振等。

潰瘍性大腸炎の症状の度合いは上から 劇症、重症、中等症、軽症に分かれている。症状が酷いと、排便回数も下血も増える。

血液検査や病理検査、内視鏡検査をして、実際に炎症具合を見て、病名と症状の程度が診断される感じ。

劇症や重症の場合、腸の炎症が酷いと大腸摘出となる方も。ざっくりなのでご興味あれば、こちらのサイトがわかりやすいかと💫👇

私が発症した当時は、田舎なので専門の先生がいなかったこととや、若かったからか、すぐに内視鏡検査📷とはならず。最初はストレスで発症する過敏性腸症候群と診断されていた。

しかし、薬も違うので 下血も腹痛も治らず。色々な病院を回ったが 病名がハッキリするまでに時間がかかった。それ故に中等症まで悪化してから やっと病名が判明した。

その頃、朝急いでても腹痛、就寝時も腹痛、何をしてても関係なく、トイレとお友達🚽一日10回はトイレに行ってたと思うので、外出先でのトイレ場所のチェックは欠かせなかった。

腹痛は、しぶり腹という症状が特徴的なのだが 名前の通りの痛み。ずーっと長くしぶるような鈍痛が尾を引くのだ。そしてその後の倦怠感も、本当にしんどい。あと困るのは、ガスが溜まるから苦しいし 静か〜なとこにいる時に限って 直腸あたりでグルグルと盛大に音が鳴る。おならに似た音だから、正直めちゃくちゃ気まずい。🤫

ただ、その頃最も記憶に残っているのは、症状のキツさより 初めての内視鏡検査のこと。炎症が酷かったからか、腸内をカメラが動くたび 鈍器で腸内を殴られるような痛みに襲われた。形容しがたい痛みだけど、例えるならズンズン響く感じ(独特。笑)涙は勝手にボロボロ流れるし、あまりに痛いと人間って呻き声が勝手に出るんだなと知った。

多分、あれが人生の中で1番痛かった。幸い、看護師さんがとても優しい方で ずっと手を握って声を掛け続けてくれていたことだけは、今でもありがたく思っている。元気で過ごされているかしら。

※決して内視鏡が痛いと断言している訳ではないので 「え!」と思った方 安心して下さいね、普通の状態なら痛くないはずです。痛そうな話をしてしまったので、箸休めにバンタンを挟んでみる、

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ここで一つ。余談だが、検査前の下剤の味は昔から変わらず味がよろしくない。薬だから仕方ないけれど…💊最近、我が病院で主流のモピプレップという下剤は、ポカリスエットを甘さ控えめにして、すごくしょっぱくしたver.みたいな味(表現力…) 

確か、梅の味がするやつも一度飲んだけど 私はあれが1番不味かった。昆布茶が苦手な人、絶対苦手な味🍵(笑)それと、何味であろうと 冷えてないと不味さはMAXである。ただ、冷たい下剤は とーーっても身体が冷える。☃️2リットル近く飲むので、冷え性の方は膝掛けがあるといいと思う。冬に一緒に飲むのは、温かいお茶だと尚良い。⭕️

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本題に戻ると、残念ながらこの病気は 発病原因がハッキリわかっていない。遺伝因子、食生活、環境因子(ストレスなど)、腸内細菌などの要因が重なって発病すると考えられているそうだが、私自身は ストレス状態が続くと再燃しやすいなあ、と9年近く この病気とお付き合いしてきて感じている。

寛解期でも気圧変動や台風接近で 腸内の、炎症があった箇所がズキズキ痛んだり、下痢になったりもある。気圧等に敏感な方だと、同じ方もいるのかしら。雨の日に古傷が痛むのと一緒の要領?🤔ガスも、普通の人より溜まりやすい印象。

あと、肝心の食事に関しては よっぽど調子が悪くなければ あんまり気にしなくて良いよ〜!という担当の先生のスタンスを採用している。発症したばかりの頃は、どうしたらいいんだろう?と疑問が多かったので 病院で栄養士さんから、栄養指導を受けたことがある。

とはいえ、人によって食事の相性は様々なので、病気と付き合う中で 自分に合った食生活が見つかる感じ。結局、食べてみないとわからないのだ。なんだか博打的だけれど…⚡️

もし、最近発症したばかりで不安な方がいれば ネットで「潰瘍性大腸炎の人にオススメレシピ!」みたいなものがあるので参考にしてみるといいのかも☝️刺激になりそうな食べ物は、少量から試してみたりするのが良いと思う。食べたいものを我慢し過ぎるのは、ストレスになって逆に良くないので、再燃時でなければ そこまで私は気にしていない。元々、あっさりした食事が好きだから 特に苦になっていないのかも。

再燃時は食欲不振になってしまう方も多いけれど 何故か、発症時から現在まで 症状が悪くなってトイレに何度駆け込もうとも、私は お腹だけは空く。なんとも不思議な大腸だ。量は食べられないので体重は減少してしまうけれど💦

治療法や薬については、選択肢が昔より増えたものの 完治はしない。再燃と寛解(良い時期と悪い時期)を繰り返す病気であり、いかに寛解期を長く維持するかが目標。言葉で言えば簡単だけれど、これが結構難しい。治療法については、こちらが詳しく わかりやすいかと👇

発症から、寛解期に入るまで私は3年ほどかかった。専門医に診てもらっていなかったことも理由の一つかもしれない。炎症箇所が何年も燻っていたらしく、見えない下血(便潜血)は続いていた。薬だけでなんとなーく症状を抑えてただけだったみたい。

便潜血が続いてても「治らない病気だし、こういうものなんだな」と思ってしまってた私は、20歳で再びガタッと再燃し、やっと現在の専門医がいる病院に辿り着いた。

専門の先生に見てもらって、今までの治療法ではあまり効果がなかったこと・炎症箇所を放置することで将来、大腸癌のリスクを上げてしまうことも知って とても怖くなった。

私はそこで初めて、やっと自分の病気が結構厄介なものだったと気付いた。発症当時は高校生だったし、"自分が治らない病気になった"という事実にきちんと向き合って 受け入れることが出来てなかったのだと思う。だから、どこか他人事で自分の疾患についてしっかり調べたりしなかったのかもしれない。

病気になって、ショックを感じるのは 自然な感情だ思うけど、私はその気持ちにも ちゃんと向き合ったことがなかった。辛いことを、辛くないように振る舞うことで 自分の心を守ろうと必死だったのかも。今だからこそ、そうだったんだろうなあと分析できるけど…。

そんなこんなで、新しく行うことになった治療法は、白血球除去療法(LCAP)という治療法だった。透析と同じような感じ。週1.2回、1時間ほどかけて行う治療法である。ざっくり説明してみると、

①ベッドで両腕にチューブのついた針を刺すポンプに繋ぎ、自分の血をポンプが引き上げる

②引き上げた血液から、腸に悪さをする白血球を ポンプ内のフィルターに吸収

③反対の腕に綺麗にした血液を元に戻す

というような治療法。東京医科大学八王子医療センターさんのHPが とても簡潔でわかりやすい👇

この治療は、鉛筆の芯くらいの太さの針を両腕に刺すので、最初ちょっとびっくりした。"麻酔テープ"という画期的なものを貼っておくと、しっかり麻酔が効いて痛くないので 痛みもなく。逆に「こんな太い針あるんだ!」と面白かった。太いので、腕に痕やアザが出る方もいるみたいだが 私はもうほぼ、わからないほどになっている。

実は、本来1時間ほどの治療を 私の場合3時間近くかけて行っていた。結構しんどかった。なぜかというと、症状の悪化により、脱水と貧血・栄養失調気味になっていたらしく、血管が細くなり 血液をポンプに上がらなかったのだ。

最初はそのせいで、刺す位置を何度か変えて挑戦してもらった。が、なかなか上手くいかず…1時間弱くらい角度変えてブスブスと刺される腕…🤝

結果的に生理食塩水を点滴しながら、片腕だけ細い針に変えて ゆっくり血液を吸い上げ、治療をしていた。生理食塩水をずっと点滴し続けることで、気候の良い春だったが 身体が冷え過ぎて南極大陸だった。🇦🇶看護師さんが電気毛布を用意してくれたり カイロを握らせてくれたり。心温まる気遣い❤️‍🩹

副作用が特に出なかったことだけは、ラッキーだった。身体と気持ちはキツかったけれど 看護師さんやお医者さんに沢山助けてもらって、献身的な優しさに触れ、癒されることも多くあった。これを当たり前のことと思わず 医療に携わる方に 感謝しなければいけないな、と改めて思う良い経験になった。

あと、研修医の先生が よく治療を見学に来たりしていた。「この人お医者さんになるんだな〜凄いな〜」と逆に観察させてもらったり、トイレに針が刺さったまま行けることに驚いた記憶がある。お花見シーズンだったから、治療中に窓から見える桜を見て、普通に生活が出来ることは、とても尊いことなんだなあと実感したことも覚えている。🌸

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私は高校を卒業して、すぐ仕事に就いていた。普通に働きながら治療に通うのは当然難しかった。 お休みを増やしてもらって 週1くらいで治療に通っていた。多分、1ヶ月ちょっと通ったかな?その時の、職場の上司には第二の母のように良くしてもらった。後にも先にも、ここまでたくさんの人の優しさに触れた時期はなかったかもしれない。恵まれていたと思う。

それでも、SNSで同級生達が 学生生活を謳歌している写真を目にする度に、酷く落ち込んだ。職場に迷惑をかけて治療に通う自分を、暖かく支えてくれる上司に対して申し訳なくて。自分を情けなく思っていた。親にも、送り迎えも頻繁にしてもらったし お金の面でも負担をかけたと思う。

「同年代の子と同じように生活ができない」そのことが辛かったし、悔しかった。病院に行けば、優しい方が沢山いたけど 私より大変な病気の人も当然沢山いて。「辛いと思う私は贅沢だ」と自分を責めた。

今考えれば、その考えはあまりにも自分に対して厳しい。誰にでも、その人にしかわからない辛さがある。誰かと自分を比べても、私として人生を生きるのは、1人しかいないのだから。辛くても、病気があろうがなかろうが、自分が辛いと思うその気持ちは決して間違いではない。私も、誰かも、それは皆同じ。

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幸い治療が私には合っていたようで、割と早く寛解期に入り、仕事にも普通に行けるようになった。でも、身体は元気になっても、自信を失い荒んだ心は、なかなか元気にならなかった。           その頃から、自分自身に自信が持てなくなってしまって、以前より人付き合いにも消極的になった。

それと、持病と闘いながらも功績を残された方の特集を テレビでやってることがよくある。   それについてテレビの中の人が「病気があっても、こんなに前向きに努力をしていて本当に凄い」と言っていて。「只でさえ、病気があるのに何かを成し遂げることもできない自分は、ダメ人間なんだな」とか、そういう風に思ってしまうことが良くあった。

勿論、頑張っている方は本当に素晴らしい。そこに持病があろうがなかろうが、関係ない。頑張っている人は称賛されるべきだ。

ただ、この頃は「病気だから」と特別扱いされたくないと思いながら、自分が一番「病気を持つ自分」を差別してたのだろうと思う。言ってしまえば、生きてるだけで、充分尊いことなのにね。

私は、ネガティブな感情を持つ自分が嫌になったり、自分を追い込んで責めることが癖になってしまっていた。どんなに頑張っても自信が持てなくて、誰かに認めてもらいたくて必死だった。

たまに「世の中には悪い人も沢山いるのに、なんで私が病気なの」とか、傲慢な考えが浮かんで、悔しく思ったりすることもあった。でも決まってその後「でもこんなこと思うような私だから病気になったのかな、嫌なやつだな」と思って自分を責める。

体調が良くない時なんかは「何が原因になるようなことをしたかな、何かストレスかけたかな」とか…。そんな風に、自分を責める思考の癖がついていった。

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そんな私が つい最近のこと。自分自身の癖も含めて、“自分のことを認めてあげたい”と思えた時があった。その時も、自分自身責めてしまって悲しい気持ちだったけれど、立ち止まって冷静に考えられた。

なぜかというと、BTSのジミンちゃんの"約束"という曲の制作過程で、ナムジュニが ジミンちゃんにかけた言葉を ふと思い出したことがキッカケだった。

「お前の闇も光も全部自分自身だということをわかって欲しい。」
「それを認めずに過ぎてしまったらもう自分ではいられない。太陽が沈んだら夜が来て、朝になったら太陽が上がるように痛みも悲しみもすぐに過ぎ去っていく。」

ジミンちゃんの約束という曲は、元々 自責の曲だったそう。制作過程で、ナムジュニの言葉や 助けを借りたり、メンバーと過ごし、コンサートをやる中でジミンちゃんは「僕が自分自身を辛くさせないように、自分の悪口を言わないように約束しよう」と思えるようになり、自分自身への約束でもある曲が出来たのだと vliveで話してくれていた。

この話を思い出して、私は自分の闇の部分を責め続け、ずっと自分へ悪口を言っていたんだなあと、自らを省みて気付くことが出来た。そして、自らを認めることが 自分の為になることに気付けた。

自分のことを辛くするより、少しでも心が幸せでいられるように考えたいと思えたのだ。

ジミンちゃん自身が、自分自身の人生の為に。ナムジュニはプロとして 友達として、ジミンちゃんがもっと 羽ばけるように言葉を送り。そして何より、ジミンちゃん自身の経験が同じような気持ちの方へと届くようにと。

沢山の思いと愛を込めて、この曲が生まれたのだと思うと 彼自身の約束を私達に届けてくれた意味を、じっくり噛み締めながら これからも大事に聴いていきたいと思えた。

立ち止まって周りを見渡せば、ふとした時何かのキッカケを見つけたり、誰かの思いで少しずつでも 嫌な自分と向き合い、認めることができるものなのかもしれないなと、実感した。

自分の首を自分で絞めちゃってたら 誰もが皆、自分の人生を羽ばたくことなんて、きっと出来ないだろう。皆、羽ばたくためにもがきながら奮闘しているんだろう。

人間の心は複雑だけど、自分の心とどう向き合うかでも、人生は変えられるものなのかもしれない。ユンギがいつも言うように人は変わっていくし、いつか痛みも悲しみが過ぎ去る日もくるのだ。


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それともう一つ。私は母に「いつも何か起こると自分のせいにしたり、責めたりしてることに気づいた」ということを話してみたのだ。今までそんなこと話せたのは初めてだった。私は、辛い時ほど 自分の気持ちを伝えることができなくて、我慢してしまうところがある。

それに対して、「起こったことに関しては、あとの祭り。考えたってわからないし、誰も悪くないことの方が多い」「自分を責めすぎるのは良くない」と。ハッキリ言われた。

「あ、ほんとそうだな」と。身近な人からの言葉はストンと心に落ちた。少し話しただけなのに心が軽くなった気がした。本当はずっと、そう言ってもらいたい自分がいたのかもしれない。

こうして、ナムジュニとジミンちゃんがキッカケになり、自分を冷静に見て 少し許せた気がしたこと。自分のことを話せたことを 私の親友は、自分のことのように喜んでくれた。私の性格を私より理解してくれているのは、彼女だろうと言える。私の友人は、私のことをいつも 私よりわかってくれている。

だからこそ嬉しかったと同時に、自分のことで喜んだり、悲しんだりしてくれる人がいるのに、今までの私の考え方は その人の思いやりを跳ね返してしまうようなものだったかもしれないと、反省もした。自分が逆の立場ならきっと悲しい。

ふとした瞬間、貰った言葉や、思い出す言葉がこんなにも力のあるものなんて。言葉の力を感じて素敵だと思った。言葉は時に刃にも、癒しにもなる。ナムジュニは多分それを心から理解した上で、ジミンちゃんの為に言葉を贈ったのだろうと思う。それって大きな愛がなきゃ、きっと無理だよなあ..。彼らが 自分を反映させた歌詞や言葉を、紡ぎ続けてることは本当に凄いことだ。私ならきっと言葉の力が怖くなってしまう。弱さを知り、それを受け入れている人は とてもとても強く、愛のある人だ。

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多分、誰もが皆認めたくない、許せない自分自身がいるのだと思う。それは、今や世界中に名を馳せているBTSも同じなのだ。私は、そんな等身大の彼らが好きだ。"誰だって完璧じゃない"ということを自らの人生をかけて、教えてくれている。

自分自身を認めて愛することは、誰しも簡単じゃないけど 完璧でなくてもいいから、少しずつでも自分と向き合うことが出来ればいいなと感じる。

「ここはまあ認めてもいいか…」って些細な部分から丸付けしていれば、自分への丸が沢山になっているかもしれないし、気付いたら花丸💮をあげられる時もあるかもしれない。そうなったらいいなと、思うし 私の大事な人も、バンタン達も そうであってほしいと願う。


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BTSのTomrrowの歌詞に、こんな言葉がある。これは、私の人生の中で大事な言葉の一つ。

日が昇る前の夜明けが一番暗いから                    どれだけ時が経とうと今の自分を絶対に忘れるな

私は、今の"私"過去の"私"も 忘れないようにしていきたい。人間とは、思いも記憶も時が経てば薄れていくものだと思う。でも、忘れたくない思いも 忘れてしまいたい嫌な自分さえも、どれも全て自分自身だから、忘れないようにしたいのだ。

人生の中で無駄なことは絶対にない。自分に必要な学びとして起こったことが、必ずある。私が病気になったことも、そうなのだと解釈している。

自分の経験や思いが誰かが辛い時、寄り添うことに役立つかもしれないし。自分がいつか辛い時"日が昇る前の夜明けが1番暗い"ことを思い出して、希望を捨てずにいられるかもしれないし。

だからこそ、私は自分の思いと経験をここに書いたし、これからも書いていきたいのだ。

それと 自分の感動や思いを言葉にすることで、誰かの心と共鳴する。それはとても尊いことであり、幸せなことだと知ってしまったからという理由もあるかもしれない。

身勝手な理由かもしれないけど、それが自分を幸せにするのなら、いいんじゃないかなと思えてきている。それも、私の心の成長なのかもしれない。

そしてこれからも、私の人生は続く。まさにLife goes on☺️笑 

長いお付き合いになるであろう病気も含めて、自分を少しずつでも認め、愛していきたい。

もし、病気になっていない人生を歩んだとしても、幸せな時ばかりでなく、辛くて悲しい時は幾度となく 生きる中で訪れるというのを知ってしまっているから、今までの歩みを後悔はしていない。

なんとも自己満足なnoteを生み出してしまったけど、このタイミングで書けてよかったと思う。

実は今、6年ぶりに病気が再燃中なのだ。それでも以前ほど悲観的になっていないし、カムバを楽しみに検査も治療も頑張る気満々💪新たな投薬を試す予定なので、怖い気持ちもあるけれどきっと乗り越えられる。

色々な経験をし、BTSに出会って、友人達の助けを借りながら、自分が徐々に変わったんだなと実感している日々だ。

だからといって、今 辛い思いをしてる方も大丈夫だよなんて言葉は言いたくないし、言わない。私自身が、大丈夫?と聞かれると、大丈夫としか言えなくなるから。楽観的になれない自分を責めてしまうから。 無責任な慰めの言葉は言えない。

だから、どうか辛い思いの方が 穏やかに眠れますようにと願っている。きっといつか、爽やかな朝の光が降り注ぎますようにと、ここで密かに願う。

そして、同じ病気の方がもし見てくださっていれば 仲間が意外と色々なところにいるよ〜!と伝えたいし、今 健康な方には 身体と心の調子が悪くなった時、早めに病院に行くことが出来ればいいな 思う。命と健康は何よりも大事。

皆様、怒涛の時代の中で、いつもお疲れ様です。どうかご自愛くださいませ💫ARMYの皆様、今日はルイヴィトン少年団が見られる日ですね…(ドキドキ)💜

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