パリからの宿題

 年が明けて28歳になった。俗に言うアラサー女子だ。だけれど私は世間一般のアラサーさんとはちょっと違う。それは、この歳にもなって学生であること。いわゆる院生というやつだ。周りの友人たちは着実にキャリアアップしたり結婚して家庭を築いたり、子供も生まれたりしている。私なんか、いまだにお年玉をもらう始末だというのに……。これでは完全に置いてきぼりではないか。恋愛も結婚も、いい稼ぎもすっかりおとぎ話のようになってしまった。まさに人生の迷子である。

そんな中でのフランス留学。普段は、一人で図書館や部屋に引きこもって、いそいそと文献を読みあさり、ひたすら論文と格闘するという、なんともモノクロでヒキコモリな日常を過ごしている。《花の都パリ》とは無縁の生活だ。そんな時、珍しく飲み会という場に誘われた。

 パリの朝7時。冬のパリの朝はとても遅い。部屋にはワインの空瓶と、酔いの回った言葉たちが転がっている。朝まで飲んだのなんて何年ぶりだろう。飲み会というやつはどうしてだか恋愛の話になりがちで、この日も例に漏れず、「永遠の愛ってあると思う?」なんて質問を投げかけられた。

 「そんなこと知るか!」と言いたいのをグッとこらえて考えてみる。例えば結婚式の誓いの言葉。「あなたは永遠の愛を誓いますか?」 まるで結婚すれば永遠の愛を手に入れられるようだけれど、《愛の国》とも名高いフランスの離婚率は「結婚したカップルの2人に1人」と言われるほどに多い。誓いの言葉なんてあったものじゃない。

 私が研究している作家、ポール・ヴァレリーにはなんと四大愛人と言える女性たちがいた。ヴァレリーは、人生の折り返し地点を過ぎて、怒涛の大恋愛期に入るけれど、その一方でよき家庭人という顔も持ち続ける。ヴァレリーは、死ぬまで恋愛と家族愛という二つの愛の間を揺れ動き続けた男だった。(でもこれって、少々ズルい気もする。)

 現実のパリに目を向けてみよう。パリの街を歩いていると、老年のカップルが仲むつまじく手をつないで歩く場面にしばしば遭遇する。若い頃から寄り添い続けた二人なのか。はたまた、出会ったばかりの初々しい二人なのか。はたから見ているだけでは分からないけれど、どれだけ歳を重ねても、恋に愛に生きようとする姿は清々しく、ちょっぴり羨ましい。

 「恋愛など愚の骨頂だが、それはまた人生に対する理解力をわが身に感じる唯一の手段だ」と言ったのはヴァレリーだけれど、なるほど、死ぬ直前まで恋をし続け、永遠の愛を探し続ける姿は、「人生に対して理解を示し続けること」ということのようにも思える。

 不意に我に返った。恋愛から遠ざかっているから人生が理解できないのか、人生に理解を示せないから恋愛ができないのか……。ふわふわと揺れていた思考が急にぐるぐると船酔いを起こし始める。酔いを冷まそうと窓から顔を出すと、灰色のパリがニヤリと笑いかけた。

——さあ、この愛の街で君は人生を理解できるようになるのかな?

随分と大きな宿題をもらってしまったようだ。頭が痛い。

(2017.4.7発行 『FR JAPON』n˚409掲載)

イラスト:©︎co_miho (https://peraichi.com/landing_pages/view/comiho)


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aya kuroki

Tableaux Parisiensーーパリとわたしと〇〇と

パリ発行のフリーマガジンにて連載中のエッセイ。 ヘイボンでちょっと斜に構えがちなパリ暮らしをありのままに書いています。(発行元より許可を得て掲載しています。)
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