見出し画像

日帰り東京と、日常にアートを見出すこと

話して触発されて、言葉に残しておきたくなりました。
昨年の日帰りで行った東京旅行の話。どうしてもデイヴィッド・ホックニーの展示が見たかったから。

ホックニーって知ってますか?私も名前と作品しか見たことがなかったんだけど、とてもイケてるおじいちゃん。展覧会ページの作家プロフィールのところにホックニーの写真があります。

この旅では飛行機で往復したのですが、そういえばパックツアー以外で飛行機に乗るのは初めてのことでした。広島空港へ車で行くのも初めてで、自宅から40分で着いてめっちゃ近っ!ってなりました。

飛行機はとても好きな乗り物。空を飛んでるって本当にすごいことで、この乗り物を支えている全ての人に感謝したくなったし、遡って飛行機を発明したライト兄弟の伝記を読み直して飛行機の歴史をたどりたくなりました。今度調べてみようと思います。

話は戻ってこの日、東京に到着して美術館の近くに着いたのがお昼前。

ご飯どうしようかな、と思って歩いていると美味しそうなお弁当を売っているお店を見つけたのでお弁当を買って、そこで食べながらお店の人と話す中で月に1回しか開けてないお店だったことを知りました。すごくないですか。そのお弁当は、特別でない日常に根差した優しい味わいで、出会いは非日常で、とても美味しく感じました。

そして話していた日常にあるものを書くこと。

ホックニーの作品にもそれがとても色彩豊かに溢れていました。誰だかわからない人の名前がタイトルになったたくさんの肖像画。庭の四季の様々な表情や花瓶に生けられた花。雑木林。水に光が差し込む瞬間をただ捉えるために何枚も作られたプールの作品。

絵画だけでなく、写真のコラージュもあって、龍安寺の石庭の作品は昔美術の資料集で見た気がします。これを改めて見た時、本当にずるいなと思いました。1つの景色を見る時の微細な人の視線の動きを的確に捉えてるなと思って。真似をしてみようとしたけどチグハグになってしまって、なんか違う。
現地は人が多すぎて、もっとゆっくり見たかったのだけ心残りでした。

《龍安寺の石庭を歩く 1983年2月、京都》1983 東京都現代美術館
https://www.museum.or.jp/report/113028


もしかすると日常を描き出すということは、日常の微細な視線の動きを的確に捉えていくこととも言えるかも、とか思ったんですが、どうですか?

日常からなんてことない自分だけの特別を、私の視点で切り出していくこと。私の世界を私の色彩で。そして私の言葉で。これはもう造形ではないだろうか。絵を描くことでしかできないんだと思っていたけど、文章を書くことでもできるんだって思った瞬間でした。

この文章も書きながら、私がみた景色をずっと目で辿っています。
その繋がりを感じながら書ける時は文章からも感じ取れるものになっている気がするし、これから何かを書いていく時に大切にしたいものを見つけられた気がしています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?