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本当に情報に振り回されているのか

自分はこう思うけど本当の所どうなんだろう、と思って
調べ物をすることが多々ある。今は片手で調べられるので便利だ。
調べるものの中には、
あの映画の監督は誰かというような「明確な答えがあるのもの」もあれば、「皆はどうなんだろう」と世間の声を知りたいというものもある。
さらに、特定の友人などに聞く「あの人はどう考えているんだろう」
というものもある。

コロナなどの疾病に関しても、専門家でも違う事を言っていたりする場合がある。そういう時に情報に振り回されて疲れてしまう人もいるだろう。

私の場合、調べ物の傾向として、
自分が望んだ情報を探している場合が多い。
情報に振り回されるのではなく、自分の中の思い(情報)を
堅固なものにするための調べものなのだ。
あのドラマの結末は私は「無いわぁ」と思うけど皆はどうなのだろう、
と調べ始めるが、
結局「無いわぁ」の意見を探していたりするものだ。

もしかしたら多くの人がそうなのではないだろうか。
実は最初から望む答えがあるのだ。
調べていくうちに、自分はこう思っているのだなぁ、これを信じているのだなぁ、信じたいのだなぁ、という思いや考えが分かってきたりもする。
友人などに聞く場合は、情報と言うよりその友人を信じている、
と言う事もできる。

私は、さらに、その情報や人を信じた自分を信じているか、
ということが大事だと思うのだ。

例えば、
何か病気になった時に、「先生の言う通りに養生したのに治らなかった」と先生を責め怒り狂う人は、
要は先生の言った事しか信じていないのだと思う。
自分で情報を集めたり、自分はこう思う、と考える事を放棄し、
先生任せにした結果、治らずに怒り狂うといった感じに。
その先生を信じて、その先生を信じた自分自身をも信じて決断していたら、先生を信じた自分がバカだったと嘆きはしても、そうはならないと思うのだ。
自分の事は自分の責任なのだ。

「色々な情報があって何が本当なのか分からない」と言いがちではあるが、実は真実と言うのは自分の中にすでにあったりするものだと思うし、
そのために常に
自分はどう思うか考え続けることが気持ち良く生きる術であると思う。


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