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親の思いの受け取り方は自由

中学生の長男が、学校の課題として
『私の成長の記録』という紙を出してきた。
この手の課題は小学校の時にもあり、
次男もいるため、同じことをまた書くのかと
少しうんざりしてしまう反面
結構楽しんでその当時を振り返ったりする。

要するに出産前後の事を書く、ということである。

なぜうんざりしてしまうのか、なのだが
必ずと言っていい程
“名前の由来”という欄がある。
私と夫は
別に名前に意味とか、
こうなって欲しいと言う思いみたいなものを込めていないのだ。
響きで決めたと言っていい。
だから「響きで決めた」としか書かない、と言うか書けない。

「男の子だからできるだけ男の子と分かりやすい名前がいい」
と思った記憶があるのだが
これは今の時代大きな声で言えないと思っている。
だから、息子にも言っていないかもしれない。
言ったかもしれない、けど、覚えていない。

小学生の次男が、
この、長男の課題の紙を見て
「俺の名前の由来ってドラマからだよね」
と言った。
あぁ、やっぱりそう思ってしまっているか…と私は思った。

名前の由来は長男も次男も変わらず、
響きで決めたと言っていい。

ただ、次男の名前に関しては
次男が生まれる前に観ていたドラマの主人公の名前が
私の記憶に残っていて、
あの響きがカッコいいなと思っていた事が発端ではある。
これを、ある程度大きくなってから話したら
次男の中で由来になっていた。
間違ってはいないのだが、
それを教えた当時の次男は
「え~なんかテキトーな感じで嫌だなぁ」
と言ったのだ。
私は、「違う違う!」と言って、
一生懸命考えた証として
当時の名付けノートを見せて説明したのだった。

でも、今、次男の中では
「俺の名前はドラマ由来」
となっていて
以前とは違って、それをポジティブに捉えているのだ。
とりあえず今の次男にとっては
“響きで決めた”よりも“ドラマを観てカッコイイと思ったから”
の方に価値を感じている様子。

まぁ、それならそれでいいのだ。
物事の価値判断は自分の中にあるものだし
変化するものだ。

だから、
当時の親の思い、
なんてものは
たいして意味はないものなのだ
と私は思っている。

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