2024/03/18

花粉がひどくて目が常に充血している。ちんぽを触った手で目を触ってものもらいになったのが先月だが未だにその延長線で目が赤いのか花粉で目が赤いのか分からない。春は目が痒くて目をかいてしまうし俺は年中ちんぽを触らねばならないし、八方塞がり、四面楚歌とはこのことで俺の目の健康はいつになったら保たれるのか。ただでさえゲイでかつ暗い人生を送っているのに健康まで損なわれてしまったら俺に残されたものはなんなのかと部屋のベットの上で琥珀になりながら考えてしまう。ちなみにゲイで暗い人生なのではなく、ゲイでかつ俺が暗いからこうなっているだけなので読み間違いに注意して欲しい。ゲイで明るい人は沢山いる。むしろ多い。大人数の飲み会の際、俺があまりに喋らないから「クールな人なんですね」と言われたが俺はクールなのではなく惨めなだけである。

春は明るいイメージがあるが人生の岐路を大股歩きで既に過ぎ去った俺から見れば、前述の通り春は花粉の季節、あとは出会いはなく単純に別れの季節。新たな出会いはなく別れのみが俺の目の前に横たわっている。得たものより失くなるものを数える方が多くなってしまった。久しぶりにドラゴンボールを読み返したらめちゃくちゃ面白かった。やはり俺は悟空やベジータより悟飯が好きである。

八百屋の店頭に筍が並んでいるのを横目に見たが、筍は俺に関係ない。一人暮らしの男性に筍が関係ある時などあるのだろうか。よくウニを最初に食べた人、こんにゃく芋をこんにゃくにして食べようとした人の異常性が言われるが筍を長時間炊いて食べようと思った人も中々の辛抱強さである。筍を長時間炊くならドラックストアでかた揚げポテト買えばいい。ドラックストアのポテチはスーパーに比べて少し安い。

こんにゃく芋を初めに食べた人のように手の線が寿命や運勢を表している…?と本気で信じた人が初めにいたから手相占いというものが確立されたと考えると面白い。もしかしたら統計学としてちゃんと成立してるのかもしれないが、占いの類をあまり信じていないからそういう人がいたというのがあまり信じられない。しかし友達とファミレスで簡単な占いをやってキャイキャイするという状況は羨ましい。自宅にいるだけでは確実にできないこと、ファミレスでおしゃべりする。日曜の夕方にこれからファミレスでおしゃべりしない?と誘われてみたい。おしゃべり?お前らとそんな喋ることある〜?などと軽口を叩きながら喜びながら出かけると思う。香水もつけていっちゃう。2年前に買った香水が1mmも減っていなくて落ち込んでしまう。別にモテを意識しているから香水をつけるのではなく単に香水を減らしたいからちょっとした用事でも香水をつけていく。香水を買った2年前の俺を惨めにしたくない、惨めな人生になりたくないが現状を変える行動はしない。郵便受けを開けたら俺の人生を変えるなにかが入ってるかもしれないという期待だけで今日も213号室の郵便受けを開ける。マンションの広告しか入っていない。マンションも俺には関係ないのに。

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