こわい

久しぶりにnoteにログインしたら、私のその時の心情をそのまま文章にした記事が知らない人に届いてて、なんだか怖かった。肯定的なコメントなら、まだ安心するけど、批判的なコメントだと、私のすべてが否定されたような、大げさなのはわかるけど、アイデンティティが揺らいでしまうと思った。私がこれまでにしてきたすべての行動は間違ってなかったと、あの時の自分がいるから今の自分がいるんだと、私の中の正しさが不安定だからこそ、他人の言葉が深く刺さる。沁みる。痛い。価値観は人それぞれというけど、やはり社会は大多数の声で回っているし、大多数の価値観が基準となっている。昨今、マイノリティの問題は何かと取り上げられるが、結局「普通」から外れた人間に、世間は冷たい。これらすべても私の考え方であって、性格でもあって、白黒はっきりしたものが好きな私は、対人関係において、心が暗くなったり、イライラどころじゃない怒りを相手にぶちまけたり、そんなことが多い気がする。私は他の人の心が見えないから、みんなこんなもんなのかもしれないけど。特に何か言いたいことがあってここに記しているわけじゃないんだけど、たぶん何かを伝えたいから、残したいから、わざわざここに書いてるんだと思う。自分でもわからないことってあるよね。自分の中で納得できる答えが見つからないと、もやもやする。すべてが算数みたいに、絶対的な答え、模範解答があればいいのにね。何をしても叩かれる時代。「世間はバカとブスに冷たい」。私も含め、容姿って生きていくうえで本当に重要だって実感している人は多いと思う。己の容姿に自信があれば、自信に満ちて堂々とした生き方になる。特に女の子は、「かわいいから」ってだけで、男にもてはやされたり、顔面のランク付けで上のほうだったり、バイトとかの面接で受かりやすかったり、先生のオキニにもなりやすいし。結局、顔ですよ。ねえ、わかる?化粧やダイエットで美しくなれるのは、元が整っている人。世間一般の「かわいい」「綺麗」になれば、生きやすくなる、そう思って、勇気と大金を出して整形。
鬱まみれのダウンタイムを乗り越えた先に待っているのは、世間からのちやほやではなく、「整形女」のレッテル。女の子の中には整形肯定派が多いけど、それは容姿至上主義の現実を知っているから。「人は見た目じゃない」?嘘つけよ。どう考えても綺麗ごとだろ。まあ、こういうのは、経験しないとわからないでしょうしね。相手を無意識に傷つける行為は許されない。だから、いろんな人の心を聞いて、知って、理解することが、大事なのです。きっと。
私は、自分を見つけるために、自分の輪郭を明確にするために、他者を理解したい。

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