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理想だけをなぐり書きする

GO TO 読書をやってくれ!というツイートを見た。

ステイホームを強化するとてもいい案だと思う。

ぼくはこのnoteで議論をしたいわけでもない、しかも、常識的なことも知らなかったりするんで(財源どうするんとか)、あくまで理想だけを書く。

ぼくは、このコロナで社会がどうなってほしかったか。

人々の行動・思考の変容

あくまでもステイホームが基本で、それでもみんな幸せに生きていく社会システムや社会常識の醸成、そちらにシフトしていく未来。外に出るなっていうのは、それは無理!でもステイホームが楽しい社会だ。そのうえで、買い物、映画、レジャー、これはやっていいと思う。でも感染対策も含めて行動変容は必要だ。団体旅行とかそういうのが淘汰されていけばいい。

そして、ベーシックインカム的な社会保障システムが構築されると、ステイホームと相性がいいと思う。

また、必要以上の人混み、混雑が解消されていく社会が来ると思っていた。コロナの流行から、人混みや混雑を「いやだ」と思う人が増え、自分もその構成要素になりたくない、と。

団体旅行とか団体客という概念が弱くなる社会。これは、接客業をやっている人間からの個人的な見解だが、団体客の大量注文って売上面ではなくオペレーション面からいうとけっこう迷惑だと思う。一人のお客が大量に買っていく挙動と近い。

想定している在庫調整が狂う、内部オペレーションの瞬間的圧迫、店内座席の瞬間的圧迫、状況によっては注文も長くなるので行列のもとになる、注文の複雑さからくるミスの誘発、これが増えると混雑のもとにもなる、いいことは一つもないのでは?

すごく個人的な感じなんですが、自粛なら自粛で、それぞれが自粛しても不幸にならない補填システムの構築の方向性じゃなくて、ほとんどの人は「今まで通りのことをしたい、しなきゃだめだよね」みたいなのが前提にある気がして…だからこんな感じになってる気がしてます。

もっと、そもそも自分にとっての幸せって何?とか超根本的なところに一度みんな立ち返ったほうがいい。そういうものを見つめる期間でもあるとおもっていたステイホーム。でも最近むしろ「いつまでもステイホームしてられない!」みたいな意見しか聴かない。僕はそう思わない。

あくまで思考はステイホームを基本に、やったほうがいいと思っている。

観光・旅行業をはじめ、関連する様々な業態の人々の生活がピンチなのはわかるけれど、このGO TO政策はもっとよく考えてほしかったと思う。

GOTOがトリガーになってこの第三波かと思われる感染者の増加が始まったとは、僕は思わない。でも、GOTOが始まったことで「こういうのが始まったなら、もうだいたい大丈夫ってことでしょ!」っていう人がめちゃくちゃ増えたのが原因だと思うし、その点ではGOTOは罪だと思う。


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