対リヨンオールドトラッフォード

マンU監督を解任されたモウリーニョと森保ジャパンの接点とは

 先日行われたリバプール戦に敗れると、ジョゼ・モウリーニョはマンチェスター・ユナイテッドの監督職を解かれた。前回、チェルシー監督を解任されたのも、3年前(15-16シーズン)のこの時期だった。

 任期途中の解任劇は、これを含めて過去3度。もう一回は、07〜08シーズンで、第1次のチェルシー監督時代になるが、この時はシーズン早々の出来事で、成績不振が原因ではない。実際、その直後、モウリーニョは引く手あまたの状態になった。そして、その中からインテルを選択すると、09-10シーズンにはポルト時代(03-04シーズン)に続く2度目のチャンピオンズリーグ(CL)優勝監督の座に就いた。

 ポルトを欧州一に導き名を売ると、イングランドに渡り、チェルシー監督に就任。CL制覇こそならなかったが、一流監督に仲間入りを果たす。そして、インテルで2度目のCL優勝監督の座に就くと、10-11シーズン、レアル・マドリーの監督に招かれた。振り返れば、彼のこれまでのキャリアの中で、この辺りが絶頂期に相当する。

 ポルトガルのある評論家は、レアル・マドリーの監督の座に就くモウリーニョについてこう述べた。「歴史的にポルトガルを長年にわたり支配しようとしてきた敵国スペインの、その城のまさにド真ん中に入り込み、そこで采配を振るう姿は、ポルトガル人にとってこの上なく痛快な話である」と。

 だが、欧州ナンバーワンの座をバルセロナと争うこのクラブの取り巻きは、モウリーニョに対して優しくなかった。3シーズンで国内リーグを制したのは11-12シーズンの1度。CLの最高位も準決勝だった。

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