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乙武さんは実在する人物である

乙武洋匡さんといえば、「おとたけ」とググると「日本の作家、タレント、政治活動家」とでてくる有名な方です。

昨年末、その乙武さんが主宰する「未来をつくる政治塾」に入塾しました。

タイトルの「乙武さんは実在する人物である」というのは、何か変なことを言おうとしているのではなく、私の学びと気づきです。

そのことについてまとめてみようと思いました。

そもそも入塾の動機

なぜ急にキミが政治塾?と思われると思いますが、理由は入塾試験として下記のテーマが提示されていたからです。

「あなたが多様性社会の実現が必要であると考える理由について、ご自身の経験を交えて教えてください。」

私は東京に本社を据えて事業を行いながら、地元である愛媛県内での事業展開に挑戦しております。
かねてより地方こそ「多様性社会の実現」「選択肢を増やす」ことが必要だと考えておりました。
今回、乙武さんが政治塾の募集として想定していた「多様性」の捉え方とは異なっていたかもしれません。
しかし、この試験のテーマに対しては、私自身、溢れる思いがあったので考え始めました。
最初はエントリーするつもりはなかったのです。

簡単に要約すると下記のような思いがありました。

【多様性社会の実現が必要であると考える理由】
・多様性社会の実現は「生活や思考を豊かすることに直結する」と感じている。
・日常生活における衣食住すべてに関わるささいな機会での選択肢が大切。
・生活や思考を豊かにするとは、多様性社会の実現がもたらす結果。
・多様性が根差した学校教育や社会経験を積む過程で、多くの人と関りを持ち、人格形成がなされる。

【上記を考えるに至った自身の経験】
・小中高と大学は地元愛媛県内で進学。就職は愛媛県の公務員(警察官)。
・その過程で「自ら選択をする」という意思や能力がなかった。
・数回転職をして起業(人材サービス、飲食事業、フィットネス事業)
・社会人として首都圏で生活している中で、地方との多様性と選択肢の差を感じた。

考えをまとめているうちに、未知の世界に参加してみたくて政治塾にエントリーしていました。

「乙武さんは実在する人物である」と感じてしまう感覚とは

乙武さんがこの世界に実在するのは、本当に当たり前のことです。
むしろ、これまで様々なフィールドで活躍されてきている乙武さんに失礼な表現です。申し訳ないです!
ただ、政治塾で学ばせていただいて、直接話をさせてもらって、乙武さんと私は同じ社会に、同じ時代に生きていていることを実感しました。
正直な感覚として「乙武さんは実在するんだ」そう表現せざるを得ない気持ち。
私には政治や社会問題、この世界で起こっている出来事全てがどこか他人事のような感覚が根底にあったのです。

子供の時にテレビで見た都会のおしゃれなレストランも活躍するビジネスマンもスポーツ選手も実在する。
「どうせ自分には一生関わりのない世界のことだ」
と勝手に決めつけて、選択肢を自ら閉ざしていたように思います。
その要因の一つに、自分が育ってきた環境の中で、多様性を認め選択肢を自ら増やそうという行動を起こせなかったことがあります。

この感覚がピンとこない方もいると理解しております。
むしろピンとくる方が少数だと思います。
言葉足らずで語弊もあると思います。
地方で育ったからと、地方のせいにするなと思われるとも思います。
その通りです。
もちろん地方で育っても自ら選択肢を増やして活躍している人はたくさんいます。
これは私自身の問題だと気がつく一方で、もし選択肢がもっと目の前に分かりやすい形で広がっていたら、と思う気持ちも正直あるのです。
「体験格差」と表現されている何かの記事も見たことがあります。

乙武さんは「僕の場合は、人生スーパーハードモードから始まっているからねー」と、話されていました。
その言葉を笑いながら話す乙武さんと私は同じ時代に生きている。
その乙武さんが多様性社会の実現と選択肢を増やす活動をしている。

そこに尊敬と敬意の念+憧れの思いを持って「乙武さんは実在する」と表現させていただきました。

まとめ的なもの

都会が素晴らしくて、地方がダメと言うつもりは全くありません。
むしろ私は地元の愛媛県が好きですし、都会に比べて劣っているとも思っていません。
しかし、こと人生における「選択肢の数」「多様性を認める土壌」と言われるとどうでしょうか。
まだまだ外部からのエッセンスを取り入れる必要性はあるのではないでしょうか。

私は、誰かに強制されたわけではないのに、勝手にそうあるべきと感じた安定的なルートを歩み、その他に広がる選択肢から目をそらし逃げ続けていました。
安定的なルートを歩む自分を地域社会は称賛してもくれました。
しかし、一方で自分自身は、無知で挑戦しないことをごまかし、言い訳をして、本当は常に恥ずかしく、苦しいはずなのに行動も起こさず、環境や社会のせいにして、ただただ甘えた人間になっていました。
本当は自分も広い世界で、様々な知識を得て活躍できるはず、ただ今はやってないないだけ、とごまかしていました。

もし、自分が若いときから多様性を直視できていれば、と考えます。
地方出身者として、多様性社会がもたらす地方への影響を言語化し学び、発信したいと考えています。

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