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「受験英語は使い物にならない」について

こんにちは☀️教授に試薬購入してもらえたので気分上々で実験しておりましたゆーとりますけど、皆様いかがお過ごしでしょうか🦑

今回はタイトルの通り、擦られまくった議論についてこねくり回そうかなぁと思います🌀
⚠️ただの一大学院生の戯言です。鼻ほじりながら読んでいただけると幸いです⚠️

1.いわゆる「受験英語」とは

1.1英文解釈(和文英訳)中心とされているもの

そうです、「下線部を和訳せよ」のあいつです。解説は「主語は〜であり、それに関係代名詞…が修飾している。関係代名詞節内の述語動詞はーで…」といった具合のイメージが強いかと思います。

1.2文法4択問題が中心とされているもの

これもイメージがあるのではないでしょうか。「ネ○ステ」や「スク○○ブル」はじめ、有名な問題集(参考書)はたくさんあります。

2.いわゆる「受験英語」の誤解

2.1世間のイメージと実際のズレ

先ほど述べたようないわゆる「受験英語」のイメージは実情とかけ離れているように感じます。たしかに英文解釈問題や4択文法問題は依然として多くの大学で出題されています。いまだに学生講師中心の個別指導では「ネ○ステ」系の問題集を進めるのにかなりの時間を費やす指導をすることもあります。ですが、例えば共通テストでは形式としての文法問題は廃止され読解のみの形式に変わり、多くの大学で出題される英文の量は年々増加傾向にあります。世間のイメージする受験英語の勉強法のまま試験に臨むと3000%時間が足りませんし、大手予備校やまともな講師はそれに即して全て正確に日本語に訳してどうこうなど言うはずもありません。
注)共通テストのリーディングは形式こそリーディングですが、随所に4技能で要求される事項を散りばめられています。大学入試としての是非は別として、試験自体も年々変化していっていることは疑いようもない事実です。

2.2英文解釈は不要?

Xをはじめ、不要論と必要論が火花を散らしているのを度々見かけます。二項対立的に議論をしている時点でちょっとどんなもんかなぁと思わなくもないですが、英語論文も読み英語でディスカッションも行う一大学院生としての結論は「場合によっては使えた方が絶対によい」です。なぜこの結論に至ったのか、そもそも英語って何やねんという話からはじめて行こうと思います。

3.英語の捉え方

3.1日々のコミュニケーションツールとしての英語

多くの人が想起する英語は、おそらくこいつなんだろうと予想します。極論「伝わればOK!学校で習う小難しい文法なくても出川イングリッシュでいいの!」といった感じで捉えている英語ですね。
究極的には、他者とのコミュニケーションが円滑に進めればなんでも良いのでこの考え方も有用でしょう。そして日常会話する程度であれば、小難しい構造で話されることもなければ文語的文法をフル活用した発話も不要ですし、むしろコミュニケーションの妨げにさえなってしまうでしょう。この観点であれば、「いわゆる受験英語」は不要でしょう。

3.2アカデミアで使用する英語

僕が大学院生として論文を読んだり書いたり、はたまた発表したり講演を聞いたりする上での英語です。こちら側の英語では「英文解釈能力」はないと困ることがあります。一応第二言語として英語を学んだ人でもわかるように論文を書くことにはなっていますが、修飾語は多いは付加情報足しまくるわで1文自体がボリューミーです。そのような時に英文の構造がつかめる英文解釈力がなければ、(よほど知的なネイティブは除いて)文の骨格がわからずなにを言っているのかサッパリになります。著名な研究者の講演を拝聴していても、バリバリインテリで古風な言い回しを意図的にガシガシ行われるため、案外受験生時代に習った文法事項や文語的な表現が役立つことも多いです。このように、アカデミアの世界で用いる英語に関してはいわゆる受験英語的な能力は大いに役立ちますし、むしろ経験していないと困る場面も多々あります。
ほんまか?と思う方へ。日本語で書かれていたとしても構造把握しないといけない文章って沢山ありますよ?試しにM.ハイデガーの「存在と時間」を本屋でちらっと読んでみましょう。訳本やんけと思う方は、入不二先生の「問いを問う」でも結構です。サラサラと読もうとすると途端に意味が取れなくなります。高度な文章になればなるほど文の構造に気をつけないといけないケースが多く、人文系学術書のほとんどがそのケースにあたります。(実は大学入試の現代文だって、要求している能力はこれに備えるためなのです。)

4.勘違いしないでね

4.1そりゃコミュニケーションとれるのがいいでしょうよ

ここまで読まれた方の多くが、「殆どの人間にとってその能力は要らんやろ」と感じたかもしれません。正解です。ほとんどの人にその能力は全く必要ではありません。コミュニケーションツールとしての英語の方が便利ですし、使う機会も多いはずです(日本という環境が特殊なので使う機会もないかもしれませんが…)。小難しい文章が読めなくたって全く問題ありません。

4.2でもね、大学入試ってさ…

ここで一度、大前提に立ち返りましょう。大学入試って何を目的に行う試験なんでしたっけ…?
そうです、大学以降アカデミアの世界でやっていける素養が(各大学が求める水準で)あるのか否かをはかる試験なのです。これを前提に考えなければ全く意味のない論考になってしまいます。
つまり、3.2で述べた能力をはかるには現状の試験と勉強の仕方で問題ないわけです。大学が求める英語力とは、英語で論文を読み、拙くても英語で学術的なディスカッションができうる素養としての英語力なわけです。流行りの若者言葉だけ知っていて上辺のおべんちゃらが英語でできるだけの中身スカスカ人間を求めてないことは明らかでしょう。

5.まとめ

さて、またもやn=1の経験と考えをもとにわちゃわちゃしてきました。あらためて強調しておきたいのですが、実用的な英語といわれているものやコミュニケーションツールとして英語を操れる能力は大事です。しかし、それと同時に受験英語で養うものはそれとは全く別のものであることも留意しなければいけません。大学が就職予備校と揶揄されて久しいですが、大学が本来求めている人材や要求される能力を前提から排除して必要だの不要だの論ずるのは的外れかなぁという気がします🤔
とはいえ入試問題も4技能を上手く少しずつ工夫が見られるので、もしかすると数十年後の試験はバランスのとれた試験になり、英語の受験勉強のあり方も変わるかもしれませんね💭

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