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あたたかい居場所がふえる。をつくる。のあたたかい居場所は、人それぞれだと思ってる件

自分がこれから掲げて、
がんばるテーマ


「あたたかい居場所がふえる。をつくる」
についての考察になります。


すみません。ややmemo的です。
お暇な方のみお目通しをば。


あたたかい居場所とは、
そもそもなんだろうか、、、


そんなものは、人それぞれだと思う。


と言ってしまうと元も子もないのですが、
ほんとうに、そうな気がする。
育ってきた環境が違うセロリだから。


一方、
わたしはこう思う。
おれはこう思うよ。


と、ありのまま、思うままに、
意見を交わしてもなお、
切れないつながりのことを、
「絆」と呼ぶのなら、


人と人とのあいだに出来うるそれは、
不可逆的であり、あれば大変うらやましいなと、
思います。


世の去り際に、「いい人生だったなぁ」と、
言えるかどうかを左右するくらい、
価値あるものだなとも思いますし、


おそらく大業を成す人物の周りには、
「絆」がいっぱい繋がってることで、
乗数的な、力学が発生しているのだと、
思われます。


また、当たり前かもだけど、
家族(2親等くらい)で「絆」を作るよりも、
それ以外の人と、「絆」をつくるのは、
圧倒的に難しいことのような気もします。
まだ結婚してないからかもだけど。


では「絆」は、
どうやったら生まれるのだろうか、、、


まずは、出会わないと、生まれないなと思う。(←あたりまえだな笑)
つぎに、一緒にチャレンジするといい気がする。
そして、違いを認めつつ、なんだかんだ諦めずにがんばればいい。
そんなざっくりイメージ。


といったものの、
「がんばる」という言葉は、少し苦手だ。

がんばっている人を、助けてあげたい。
という気持ちになることがよくある。


が、それでもなお、
「がんばる」という言葉が、少し苦手な理由は、


(我慢して)という、メッセージが、
見え隠れしているからだろう。


そして、これは経験則として、
「我慢して、がんばるやつ」は、
「好きで、熱中してるやつ」には、
最終的には敵わない。と思ってる。


がんばらないで、日々を過ごしたい。
できれば、好きなことで、ちゃんと飯を食えるようになりたい。


そんなことは、可能だろうか?


昨今、好きなことで飯を食っている人を、
よく見かけるようになった。


・ネット普及によるニッチマーケティング
・シェアエコノミによる稼ぎやすさ
・ユーチューバー等に見ゆる身近の価値UP
等、なんかもろもろ、あるのだろう。


これから各分野で起こるとされている、
テクノロジー革命によって、


好きなことで、食える化は、
さらに加速するのだろう。


これは、
マジョリティ(例:銀行員さん)と、
マイノリティ(例:コンビニアイスマニアさんとか)の、


食えてた人(例:行政書士さん)と、
食えてなかった人(例:レンタルなんにもしない人とか)の、
逆転現象が、これから起きるかも。
と、そんな風に、考えています。


欅坂46なマジョリティ感が出てしまったところで、
まとめると。


①ありのままで、つるんでいる
②がんばらないで、暮らしている
③好きなことで、食べていいる

というのが、なんとなく理想。その上に、
「あたたかい居場所がふえる。をつくる」
を据えて、がんばりたいなと、思いました。


以上。


長文、失礼しました。
引き続き、よろしくお願いいたします。

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