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わかりやすいは善

イエス・ノーの2つの選択肢で話を進める明快さは場合により善だと思う。

れいわ新選組の山本太郎議員の質疑が問題と対策がわかりやすくて良い。

やるか・やらないかと質問してるのに関係のない話をダラダラして答えたフリをする総理には会話能力があるのだろうか?
岸田総理に限らず、このような会話?はよく目撃する。

311原発事故の後にテレビで原発の安全性を語る御用学者の話術が「東大話法」と名付けられていた。

偉そうな肩書の偉そうな人間の話は何を言ってるのか理解できないのは受け手がバカなせいでなく、話し手のごまかしテクニックが巧妙なせい。
一般人にもわかるように専門知識を語ってくれる専門家は真のプロフェッショナルだと思う。
原発にしてもコロナにしても本当のことをわかりやすく伝えてくれる専門家は少数だったというのが現実。

昔読んだ「わかりやすい」を扱った本では家電説明書のわかりにくさを例に上げて自分の母親がわかるように書け!と言ってた。
何かを他者に説明する時には自分が完全に理解してないと説明できない。
扱う題材を理解してない講師から受ける講義はわかりにくい。
そういう「わかりやすい」とは次元が違うのが、やるか・やらないかの2択を選択肢以外で答えるという高等テクニック。
わざとわかりにくく話をするというのは悪だと私は判定する。

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