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言葉はお守り

忘れられない言葉を、2回も私にくれた人がいる。

1度めは、かつて親友だった人と心の距離ができてしまったことに、いつまでもぐだぐだしている私に対して。
「おむはドMじゃないだろ?○○の隣にいて幸せそうなおむをもう想像できない」
2度めは、メンタルを拗らせ負のオーラを放ちまくっている私に対して。
「今年はどんどん文章依頼するから。おむは文章を書かせていないとだめになるから」

その人はとっても顔が広いのに、ひとりひとりとの縁を大切にしている。仕事にイベントにせわしなく動き回っていて、いつ休んでいるんだろう、と思う。私だったら脳みそがいくつあっても足りない。
その人がスーパーマンすぎるあまり、みんなさくっと受け入れているけれど、とてつもないことをこなしていると思う。その人のおかげで遊び場ができて、好きな場所が増える。楽しみに頑張ろうって思える。なにか一緒に作ろうと言われると嬉しい。創作に活力が湧いてくる。
クールなのに人情に溢れてて、信頼できる人。定期的に会いたいと思う。ちゃんと見てくれているから。

文章を依頼されたとき、いつも自分のことで精一杯な私は、依頼された意味を深くまで考えなかった。
その人なりに方法を考えて、私に手を差し伸べてくれている。そう気づいたとき、自分の未熟さを恥じたと同時に、とても胸が熱くなった。

私には、言葉しかない。その人や、私を気にかけてくれる人に恩を返す手段は、言葉しかない、そう思っている。だから必死で文章を書く。書き続ける。日々、だれかの言葉に助けられて生きているからこそ、言葉に縋っている。

人生の中で忘れられない言葉って、そう多くない。
心のお守りを2度もくれた人。私もあんな大人になれるのだろうか?自信はないけれど、不器用は不器用のやり方で自分を認めていけたらいい。いつか私も誰かにお守りを渡せるように、まずは自分のことをじっくり立て直していかなきゃ。

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