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【食と文学旅】三国と蟹と三好達治(前編)

先日、と言っても1ヶ月以上前の話になりますが、福井に蟹を食べに行ってきました。母が北陸で蟹を食べたいと言って企画した旅行に着いて行っただけなのですが、偶然にも行き先は三国、三好達治ゆかりの地だったので、文学碑や展示などを見てきました。

<前編>
・みくに龍翔館
・東尋坊・荒磯遊歩道の文学碑
・三好楼(三好達治仮寓跡) など
<後編>
・福井県ふるさと文学館  など

芦原温泉駅集合・昼食

私は大阪から、両親は静岡県から、弟は滋賀県からと、出発地が違ったので、それぞれサンダーバードや特急しらさぎに乗って芦原温泉駅に現地集合。昼頃の到着だったので、駅前で昼食をとりました。小さな駅で、駅前にもあまりお店は多くないのですが、駅を出て道を渡ってすぐのところにあるよしだや・しのぶ庭というお店へ。おろし蕎麦やソースカツといった福井グルメや、地元の魚を使ったお寿司などが食べられます。

ランチメニューに麺類とミニ丼のセットがあったので、ソースカツ丼とおろし蕎麦を注文しました。これで950円。蕎麦も丼も量は控えめなので、女の人でも食べられる量かなと思います(少食の人は厳しいかも)。

カツ丼というと卵とじのものを想像する人が多いかと思いますが、福井のカツ丼は、衣にソースがよくしみたカツがご飯の上にのっています。ウスターソースなので味は割とあっさり。カツは柔らかめで食べやすかったです。

おろし蕎麦は、蕎麦に大根おろしとつゆ、ネギや鰹節などをかけた状態で出てきます。麺はやや平たく、つゆやおろしがよく絡みます。食べ終わってから、そういえばこの蕎麦にはワサビがついていなかったなと気づいたのですが、大根おろしにピリリとした辛味と大根の風味が効いているので、なるほどこれにワサビはいらないなと思いました。

そういえば、冬コミに持って行く予定の新刊『文豪の家メシ』に、池波正太郎の「真田騒動 恩田木工」の食事シーンを引用したのですが、ここにも、辛い大根おろしで食べる蕎麦が登場します。この作品の舞台は福井ではなく信州なのですが、越前と信州とでは地理的にもさほど離れていませんし、何か関連があるのかもしれませんね。

木工は、これを大根おろしのしぼり汁に少し醤油をたらし、その涙の出るほどに辛いつけ汁で蕎麦を食べるのが好きだった。(池波正太郎「真田騒動 恩田木工」)

みくに龍翔館へ

さて、腹ごしらえも済んだところでレンタカーを借りて「みくに龍翔館」へ。芦原温泉駅から車で20分ほど。かつて三国町にあった龍翔小学校の建物を再現した建物で、中は郷土資料館になっています。

1Fには三国の自然や古代資料の展示、2Fには北前船で栄えた三国湊の様子や、それによって発達した工芸品などの展示、3Fには三国の商人や職人たちの仕事場や生活の様子をジオラマで再現した展示と、三国ゆかりの近代文学者の紹介、4Fには三国に縁のあるエッシャーに因んでトリックアートの展示が常設されてます。

もともと近代文学コーナーが目当てで行ったのですが、それ以外のコーナーも、実物の展示やジオラマなどが豊富で面白く、勉強になりましたし、なかなかボリュームがあるので、時間に余裕を持って見に行くと良いと思います。

3Fの「三国と近代文学」のコーナーでは、三国出身の高見順と、戦時中に三国に移り5年ほどを過ごした三好達治についての展示を中心に、三国における高浜虚子・森田愛子・伊藤柏翠という3人の俳人の交流や、三国を訪れた文学者などが紹介されていました。高見順と三好達治に関しては、雑誌や原稿が展示されているほかに、本人の遺品を集め、書斎を再現したコーナーなどもあります。

展示も充実していて面白かったのですが、入館窓口の側に置かれていた『越前三国と三好達治』というパンフレットがなかなか詳しく、勉強になったので、もし見かけたら読んでみてください。坂井市教育委員会文化課が発行しているもので、A3両面印刷の折りパンフレットに、三好達治が三国の地でどのような交流があったかがまとめられています。

東尋坊・荒磯遊歩道の文学碑

三国の名所といえば東尋坊。私の写真技術では景色の凄さが一ミリも伝わらないのですが、風が吹くたびに無いタマがヒュンとなるスリル満点な場所でした。しかし、景色の雄大さや砕ける波の迫力は一見の価値があります。

さて、東尋坊を中心に、この辺りの海岸沿い一帯は「荒磯遊歩道」という名前がついていて、そこここに文学碑が建つ文学散歩道にもなっています。

東尋坊から北に2分ほど歩くと、海と松の木を背景に、横長の本を開いたような形の、大きく立派な石碑が立っています。これは三好達治文学碑で、表には「荒天薄暮」の詩が、裏には三好達治と三国との関係が簡潔に記されています。

この詩は、敗戦直後の作品で、敗れた国の悲傷が描かれています。今でこそ東尋坊は人で賑わう観光地ですが、当時はどのような雰囲気だったのでしょうか。厳しくそびえる断崖と、ザンザンと響く波の音を背景に、当時の悲嘆や感傷に思いを馳せました。

さて、ここから東尋坊へと引き返し、さらに南へ遊歩道を歩くと、3本の細長い石碑が並んで立っています。マップにはここに句碑があると書かれているのですが、見たところ句らしいものは書かれていない。どういう事かしらと反対側に回り込んでみると、

句は歩道ではなく海の方に向けて刻まれていました。

高浜虚子の碑を中心に、左側に森田愛子、右側に伊藤柏翠の句碑が立っています。柏翠句碑の裏側には「虚子愛子句碑を移すにあたり、こゝに柏翠句碑を併せ建て物語「虹」を偲ぶ」と記されています。松の木越しに見える青い海と、さざめく波の音に向かう3人の師弟の姿を思わせる句碑でした。

このすぐそばには三好達治の詩碑もあります。

春の岬旅のをはりの鴎どり 浮きつつ遠くなりにけるかも

碑に記された文字だけでは解読できなかったのでGoogle先生に聞いてようやくわかりましたが、歌集『測量船』の巻頭を飾った短歌形式の二行詩です。これと全く同じ筆運びで書かれた色紙が日本近代文学館の複製色紙にあるので、おそらく色紙から写したものだろうと思われます。

荒磯遊歩道には他にも、句碑や詩碑がいくつもあるのですが、流石に全て回る余裕はなかったのでここまでとし、この日宿泊予定の旅館・荒磯亭に向かいました。

三好達治仮寓跡

旅館の話はまた後ほどするとして、たまたま宿の近くが三好達治の仮寓跡(母が選んだ宿なので本当に偶然)。今はステーキハウスになっているそうですが、散歩がてら見に行ってきました。

海岸沿いの道から少し高くなったところに「三好楼」という看板が見えます。お店のHPによると、店名は三好達治にちなんでつけられたものだそう。

店の入り口には三好達治の詩が刻まれています。

わが庭の秋のあはれは
ふとありて風にながるる
くれなゐの花をとらへし
あきつかな  三好達治

店の裏手に行くと、間に建物があるので少し海が見えにくいのですが、二階からの見晴らしは良さそうです。

宿・荒磯亭

今回宿泊したのは荒磯亭という海に面した料理旅館。江戸時代からある老舗なので、三好が三国にいた頃にも(戦時中なので営業していたかどうかはわかりませんが)ここにあったはず、と思うとこれはまたこれで感慨深いです。

海に夕陽が沈む景色と、蟹料理や鯛料理が自慢の宿。ちょうどチェックインしてひと休みした頃が日没だったのですが、部屋の窓から綺麗な夕陽を眺めることができました。

夜は月も綺麗です。

部屋によるとは思いますが、客室の三方向に窓があり、旅館のあのスペース(広縁)からは、浜辺の向こう側に九頭竜川の河口が見えました。

さて、今回の旅の本題は蟹。

刺身で食べ、茹でて食べ、焼いて食べ、黙々と蟹の身をほじるディナーでしたが、やはり私は釜揚げが一番好きです。ぷるぷるとした食感の刺身も、香ばしい香りの焼きも、コクがたまらない甲羅酒もおいしいのですが、釜揚げが一番、蟹の甘味と香りをもっとも堪能できる食べ方ではないかと思います。

三国港は蟹の漁場が近いため、獲れたてほやほやの蟹が水揚げされるそう。そしてその水揚げほやほやを宿で出してくれるので、とにかく新鮮。そのせいか、どれだけ蟹をほじっても手が生臭くならないんですよね。いや、蟹の風味はするんですけど。前菜やデザートなど、蟹以外のメニューも美味しかったです。

景色良し、食事良しの宿ですが、来年の春から建て替えのためしばらく休業してしまうのがちょっと残念。しかし、より海側に移転して、一層眺めがよくなるそうなので、リニューアル後にも期待です。

翌朝は、海から靄が上がってくる不思議な景色を見たのですが、話が長くなるのでこれはまた別の記事に書こうと思います。

2日目は、永平寺を観光し、福井駅でセイコ蟹を食べ、お土産を買って解散。その後一人で福井県立ふるさと文学館に向かいました。この話は後編で。

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