レジリエンスの諸相2

人類の祖先は弱みを強みに変えて生き残った(放送大学 放送授業より)②つづき

前回①に続き、放送大学 放送授業 「レジリエンスの諸相」2回での山極教授の話をメモったものです。放送大学 シラバスリンク
 人間の祖先というのは2つの類人猿の弱い特徴、つまり、子どもの発達が遅い、それから、胃が弱く未熟な果実や葉をたくさんは食べられないという特徴を持ってサバンナへと出ていった。そこから人間のイノベーションが始まる。

稲村先生)
類人猿は森から出られなかった、ヒトはそこから出られたということですね。サバンナ 森の外というのは非常に危険な場所であると そこにヒトが出られた要因はどこにあるのでしょうか?
山極先生)
類人猿も胃腸が弱くていろいろな物が食べられないという欠点を補うために食物を分配するという行為が発達しているわけですね。それが実はどうも子供の成長が遅いということと関連があるらしいというのが最近の発見なのです。
 食物を分配するという行為は親から子供へと食物が分配されるほうが先でその行為が大人の間に広まったというふうに進化の方向性があると言われています。だから、類人猿はすべからくオラウータンもチンパンジーもゴリラも大人から子供へは食物は結構分配されるのです。大人同士ではなかなか分配されないのですが、これは非常に数が限られていたり、場所が限られていたり、貴重な食物に関しては結構分配されます。チンパンジーは肉を分配することは結構有名ですが、ゴリラはフルーツを分配することを最近、私たちが発見しました。この分配行動を人間はさらに拡張したのです。
それが人間の進化のなかで、最初に現れた人間らしい特徴というのが二足で立って歩くという行動です。これは敏捷性にも劣るし、それから、木に登るという能力も落ちるし、不利なことこの上ないのです。
 しかし、手を自由にして物を運んで、それを仲間と一緒にたべるということをするには、非常に有効な歩行様式なのです。特にエネルギー効率がいいですから走る速度は遅いが、長距離をゆっくりした速度で歩くには非常にエネルギー効率がよいと言われてます。
 だから、熱帯雨林からサバンナに出て行って広い範囲を歩き回って食物を集めてそれを安全な場所へ持ち帰って仲間と一緒に食べることは、最初の人間の食糧革命だったと私は思います。

稲村先生)手が自由になったことでよく言われてきたのは、道具を使用するとか作るということですよね。もうひとつ重要なのが物を運搬して配るということですね。
山極先生)人間の最初の道具が出てきたのは260万年前です。人間の最初の祖先が現れたのは700万年前ですから、まだ当時は道具を使えなかった。もちろん、木製のの道具はあったかもしれませんが、これは化石に残りませんから、石器として発見されるのは260万年前です。だからあまり複雑な道具は使っていなかったと思います。やはり、それよりも社会性だと思います。しかも、この食糧革命に一番重要なことは、自分が目の前にしている食物を食べるのではなくて、人が持ってきた食物を食べる。つまり、自分が採集した現場を見ていない、その食物を持ってきた人を信用するということが生まれたのだと思います。
 これはその後の人間の社会を作る上での一番重要な感性になったと私は思います。
人との信頼関係とか共感ということが食物の分配から派生したのですね。
山極先生)もう一つ重要なのは、食物というのは動きませんから、現場で食べるということは食物の生えている分布をそのままにそれを手に入れるということですね。ところが食物を集めてくるとその分布を変えることができるわけです。100個集めてくれば、それだけの人数の子供を食べさせることができる。そういうふうに量を自分で調節しながら、人偏関係にも影響を及ぼすことができます。これが人間の社会性にとっておおきな力になったと思います。
食物の道具化、食物の社会化がそこから始まったと私は思います。

山極先生の話はまだ続く(次回へ)

(この先、社会性や共感する力が発達したおかげで人類が生き残って、最終的には知能の発達にまでつながるという話に続くのだが、現代社会の中で、相手の真意を読み取ったり、あいまいなニュアンスを読み取る能力の発達度合に相違があるのは、新しい進化の道筋なのであろうか?食物を分配しなくてもいい時代になった近代社会の中で、新たな進化が起こりつつるあると思うのは、私の妄想か?)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?