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音楽ファンはその性質上、経年劣化やダメージアイテムが好きなんじゃないか?と推察する話。

いやコレマジでマジで。

だって「バンド結成〇〇周年!」好きでしょ?
推しのグループと共に歩んできた〇年間、例えバンドメンバーと個人的交流無かったとしても家族の誕生日より嬉しい気持ちになるでしょ?

バンドからメンバー脱退‥悲しい事態にも残りメンバーからの「いつまでも待ってるから。」っつー暖かなメッセージ。ソレに応えて、たった今修行を終えて来ました!的に電撃復帰を果たす元メンバー。好きでしょ??
お互い傷付き、しかしそれ故により絆が強固になってカムバックするバンド‥大好きでしょう?!

そう言うグループがリペアされる過程を、つぶさに見聞きする瞬間、ファンはより愛しさを感じてしまうのだと思う。更にそうした傷を負ったグループを愛してやまないファンが、他のアーティストのカバーを嫌う事が有るだろーか?答えは否である。

何故なら推しが歌うカバーは推しの歴史の一部だから。カバー先のリスペクトや愛情を表現するバンドのドラマの一部だからだ。

と、言うわけで今日は推しが推しをカバーする、たまらん事態になってるカバーを並べてみます。



今夜はブギーバック/ルーシー・イン・ザ・ルーム(カバー元/小沢健二 featuring スチャダラパー)

オザケンとスチャダラパーの3人の声は声質が似てると思う。良い意味でベタ付いた求心力のある声。言ったらブギーバックは金太郎飴みたいに何回も練って練ってを繰り返した粘度の高い飴を組み合わせて作ったみたいな。同じよーな飴をなんか組み合わせて、コロコロ伸ばしてるけど中身グッチャにならんの?って思ってたら断面めっちゃ綺麗!みたいな其々の声を練り上げて作られた感がある。
ルーシーはちょっと違くて、バンドっつー形態だからパート毎の音が有る訳なんだけど、音の粒々が皆揃っててオシャレで可愛くて聞きやすい。丁度釜の中でゴロゴロ回し作られる形の揃った金平糖のよう。しかもボーカルのKoheiの声が低めドライめで、邦ロックバンドだと珍しい声だと思う。それがすげーフックになってる。ホラ、金平糖のイガイガが語りかけてくるわ。かわいいだけじゃありませんよ?って。

原曲の、大人がワザとやるあざとい爆発な感じもめっちゃ好きなんだけど、このカバーのテンポ早めで砂糖が擦れ合うシャラシャラって音の重なりみたいな。シティポップをバンドでしっかり軽やかにやってみました、って感じがクセになる。

ワンダフルワールド/トータス松本
(カバー元/サム・クック)
サム・クックを教えてくれたのはトータス松本だ。
トータスはサム・クックが好き過ぎてかつて廃盤になってしまったサムのアルバムを丸々1枚カバーした位好きだと言う。(ツィスティン・ザ・ナイト・アウェイと言うそのアルバムはトータス版リリースの1年後位になんと復刻を果たす。絶対トータスのサム・クック愛が何処かに伝わったからだと信じてる。)ソレに先んじてシングル盤(時代!)としてリリースされたのがこのワンダフルワールド。ツィスティン〜の楽曲が完全コピーなのに対して、コチラはトータス松本オリジナルの歌詞が光る。紙製CDケースに印刷されたライナーノーツ(←確か。記憶違いかも)には「原曲の冒頭にある『Don’t know much』を『どの街』と訳したトータスのセンスよ」みてーなコト書いてあって、そのトータスの言葉遊びの感性もそうだし、原曲の世界観とちゃんとピッタリ合ったサム・クックの歌詞を邪魔してないのがまた良い。

声も楽曲にぴったりでなー、中年男性がする恋愛の照れやエモさをこんなに情感たっぷりな声で・だけどクドく無く表現するの、多分トータスが世界一上手いと思う。

ボヘミアン・ラプソディ/パニック・アット・ザ・ディスコ
(カバー元/クイーン)

ボヘミアン・ラプソディのカバー数あれど、私はコレが1番好き。特に、このライブで収録されたヤツが臨場感あってドキドキしてしまう。
フレディ・マーキュリーもブレンドン・ユーリーも高音に特徴あるアーティストだと私は思うんだけど、フレディの「難なく出せてる」感滲む声出しへのスムーズさや余裕から来てそうな力強い優雅さに対して、ユーリーの才気が溢れまくってて荒削りなんだけど実はソレを玉葱の皮のよーに捲っていくと透明に輝くプライドの芯が残ってるあの感じ。どっちも好きなんよ!って両方とも別の意味で惹きつけられてしまう。

それと多分ボヘミアン・ラプソディのカバーの殆どが中盤以降のガリレオー!からのコーラスを下のパートを歌うか丸ごと歌わないかと思うんだけど、ユーリーは行けるトコ全部上のルート行くんだよ。高音すぎてこれ以上行けない,じゃ無くてコーラス隊との歌唱場所の兼ね合いって意味のいける場所全部。もうホントこう言う他とはちょっとした違いを出してくるトコにユーリーのクイーン愛を感じてしまう。

上を向いて歩こう/RCサクセション 
(カバー元/坂本九)

コレ凄いんだよ。パッと聞きだと全然坂本九じゃないんだよね。でも全体通して聞いたらちゃんと上を向いて歩こうだ!って、初めて聞いた時に忌野清志郎のアレンジの柔軟さにビックリした。こんなカバーあるんだって感動したんだ。

前述したトータス松本は原曲に近付ける事でリスペクトを示してる(と、聞いてる側には感じられる)の良く解る。でもその逆を行ってる忌野清志郎の顕著なメロディ改変にも愛を感じられるのは何故なんだろ。言ったら他人の曲を好きにいじり回してる訳じゃない?原曲とかけ離れたカバーを作るとは、どー言う心理なのかな。
んで、ちょっと思ったのだけれど、子供が漫画の世界に入り込んで自分のキャラクターを考えるのと似てるような気がする。聖闘士星矢の舞台に自分を落とし込んで、クロスのデザインや武器や必殺技を、自分を象徴する(まだ誰にも使われてない)星座を見つけようとするような。

そんでそうやって見つけたんじゃないかなぁ。自分の、名前も由来も最高な星座を。しかも、清志郎の声だからこそ!のオマケ付き。コレはもうセブンセンシズ。勝手な想像だけどね。




冒頭の話に戻るんだけど、こまめに馬油で磨いてツヤっツヤのブーツとか、形や素材を活かしてペイントしたりダメージ加工したデニムを履いた推しが「コレいいでしょー!カッコいくない?」って言って来たら「うっわー良いねー!最高だね!」ってなるやん?って事なんだなぁ。
また合わせて良いのが、その元のブーツやデニムも気になってしまうんだよなあ!推しの好きを知ってその推し先も推しになる。なんて素敵な循環。

コレは最高の音楽におけるみっつのR。
リボーン(復活)・リメンバー(忘れない)・リヴァイアサン(リヴァイアサン)!!
よーしウマいコト言った!(最後L)

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