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言葉選びができる人になろう。アンチされたからこそ伝えたい

知的で落ち着いていて、大人だな〜と思う人も素敵だけど、

私はそれよりも

些細なことで喜べたり、楽しい・嬉しいという感情を素直に表現できる無邪気な人が好きです。

そういう人って、生きてて楽しそうなんですよ。
ハッピーオーラに溢れてる。
見てると、こっちまで元気をもらえる。

幸せ(ハッピー)の尺度って
恋人がいるとか、友達が多いとか、手に職ついてるとか、休みが充実してるとか

SNSが浸透してることもあって
なんとなく決められがちだけど
結局そんなものはないんですよ。

幸せは、他人に決められるものじゃない。
自分が幸せと感じるなら、それは幸せなんです。

だけど悲しいことに
賢い人や、冷めてる人は、
自分の尺度で勝手に他人を不幸と位置づけて、罵ったりします。
(もちろん全員に当てはまる訳ではないです)

例えばあなたが楽しいとか好きだとか思っていることについて話した時に、

「しょうもねー」とか
「こうした方がいいのに」
とか言われたらめっちゃイヤな気分になりません?

もしかしたら!もしかしたらですよ?
自分のためを思って、そこに優しさを含んで言ってくれているのかもしれないけど、、

賢い人に言われると
正論すぎて言い返せなかったり

理性的に言われると
自分と相手とでテンションの差を感じて一気に萎えるなど

言われた本人は、結構辛い思いをします。

間違った優しさで傷付けてしまったら、元もこうもないですよね。

「思ったことはストレートに言うのが正しい」
と言う人もいますが、私は必ずしもそうではないと思ってます。

言わなくていいことは、言わなくていいと思う。

何気ない言葉がもたらすパワーは、計り知れないものだから。

今は、言いたいことを簡単に言える時代です。

YouTube、Twitter、TikTok、Instagram、、
それらのコメント欄や返信機能を使って
あなたが思っていることを簡単に相手に届けられる。

そして、コメント対象の人とは別に、それらを見ている他の人たち(フォロワーや視聴者など)にもそのメッセージは届きます。
(鍵垢など非公開アカウントにしていない限り)

でも、言葉は時として、鋭い刃物になり得るということを忘れないで欲しい。

例えば私はこんな体験をしました。

私は、別名義でYouTube投稿をしているのですが、
とある動画がバズった時に、
普段は2、3人程度のコメントしか来ていなかったものが、一気に100件、200件と大量にコメントが来た事がありました。

その際、温かいコメントを寄せてくれる人もいれば、動画の趣旨とは関係なく、私を傷付けるためにアンチコメントを書いてきた人もいました。

その動画は、私が一重から二重になるために自力で叶えた方法についてを話したものだったのですが、
『整形にしか見えない、嘘をついている』と書かれたり、目のことよりも、『歯並びが気になる』とか『肌が汚い』と書かれたりしてそれはもう散々でした。

アンチなんてほんの一部だから気にしないでいいよ!と慰めてくれる人もいましたが、、
まあ結構の間、引きずりましたね。
それまで気にしていなかった部分が気になるようになり、コンプレックスにもなりました。

今のネット社会の怖いところは、1人が言うと、芋づる式に同じように思っている人が現れ出すということ。
相手を傷つけるかもしれない、なんて考える前に、
「誰かが言ってるから大丈夫、自分だけが悪いんじゃない」という心理が働いて、相手の気持ちなど考えずに自己満足で消化させてしまう。

さらには、誰かのコメントに対するいいねボタンもあるので、言うのはさすがに気が引けるという人でも、"いいね"という無言の同調ができるので、大変都合の良い機能ですよね。

しかし、された側はどうでしょうか。

不特定多数からのアンチコメント、そしてそれに対するいいね数。アンチコメントにわざわざ返信して「それな!」なんて共感を見せつける人なんかも目にして、
「そうか、こんなにたくさんの人が同じように思っているのだ」と感じ、どんどん追い込まれて行きました。

私はそれから、投稿する動画について、とても神経質になりました。少しでも自分の顔がイケてなかったり、言葉に詰まって上手く話せなかったなと思ったら、投稿しなくなりました。それどころか、撮影・編集という手前のところで止まってしまうようにもなりました。

結果的に、投稿頻度は激減。休眠状態まで追い込まれることになってしまいました。

今は、誹謗中傷を理由に、自殺した人のニュースもよく目にするようになりました。

とても悲しいことだし、これが今のリアルなんだと思って目を伏せ…

るかあ!!!!!!

私はね、アンチが本当に理解できないし、大っっっ嫌いなんですよ。いや、好きな人おらんよね?

軽はずみな言葉で人を傷付け、ましてや死に追いやるなんて最低中の最低。

そんなニュースを見るたびに、私は悲しみと共に、怒りと落胆を覚えます。

でもね。アンチに付随してさらにムカついていることがあるから言わせて欲しい。

アンチされた側しか本当の意味での痛みは理解できないわけですよ。

だから、そういうアンチに対して「アンチやめてください」とか「○○と言われて傷つきました、、」とかって弱音の一つや二つ吐きたくなるじゃないですか?
芸能人やインフルエンサーでも、SNSでそういうつぶやきをしている人は見かけたことがあるでしょう。

で、このように弱音を吐いた時、決まってこのセリフを言ってくる人がいます。

「言われたくないなら発信しなけりゃいいのに。」

はぁ???????????????

なんで発信する側が我慢しなきゃいけない訳?????????

アンチ正当化???え?なになに?あなたも言わないだけでそっち側の人間ですか???????


すいません、ついヒートアップしてしまいました。笑

とにかく、アンチする人も理解できないけど、アンチを正当化するような人も全く理解ができません。

このような人がいるから、アンチは無くならないんです。

そう、そこのあなたのせいで!!!!!

芸能人も、インフルエンサーも、YouTuberでもなんでも。
みんな一人の人間です。

「アンチはされて当たり前。それだけ影響力があるということ」
でまかり通るもんじゃないんですわ。

さっきも言いましたが、今の世の中、
言葉の影響力はとんでもないほど大きくなっています。

たった一言の暴力が人を殺すような時代です。

これを読んでくださっているあなたは、きっとそんなことはしないと信じています。

言葉や思いを簡単に伝えられる時代だからこそ、
その重みが忘れられやすいけれど、
どうか少し立ち止まって言葉を選んでみてください。

あなたが発しようとしている言葉は、思いは、
誰かを傷つけようとしていないか。

もし相手のためを思って言おうとしたことでも、
伝え方を間違えば、かえって相手はあなたを酷い人だと思い、距離を遠ざけることにもなりかねません。

あなたが一瞬立ち止まるか立ち止まらないかで、相手に及ぼす影響、未来は大きく変わります。

そして、あなたが立ち止まれるようになるならば、より人に優しくなり、あなたも健やかに生きられるようになると思います。

私は、少しでもそんな温かい心を持った人が増え、
アンチみたいな冷たくて、きっと人生上手くいってないんやろな、どっかで絶対つまずくんやろなって思うような可哀想な人が一人でも減ってくれることを祈っています。

そして、アンチの方へ(ニコォ)
人に嫌味言う暇あったら、もっと自分を充実させる方に時間使ったらどうですか?

最後に、アンチやなくても

物事に冷めてる人、
現実ばっか見て夢のない人、
日本は終わってるとか言ってる人、
良いことの中にわざわざ悪いこと見出して愚痴ってる人、

たまにはこう考えてみなよ。

例)嫌なこと続いてて虚無な時
「毎日平和に生きれてる!今日も天気ええなー!神様、ありがとー!」

例)友達や恋人の趣味の方向性が違った時
「自分とは違う趣味やけど、これはこれでええなー!もう少し話聞かせてもらおかな!」

例)好きなアーティストのライブに当選したけど、席がめっちゃ遠かった時
「整番は正直良くないけど、推しに会えるだけで最高!ライブやってくれて感謝ー!」

こうやって少しでも前向きに考えられるようになれば、人にも優しい言葉を自然とかけられるようになるし、ちょっとぐらい嫌なことあっても全然平気!ってなっていくよ。
ほんで、楽しいことは今より何倍も楽しく思えるようになるから、結果良いことしかない!

みんなであったかい心、養ってこな〜


今回は怒りメインの投稿になっちゃったので
次の投稿では、実際私が「無邪気だな〜!好きだな〜!」って思ってる推しの話をたんまりとさせてください(笑)

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