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「いとしい仏たち」展示会/広がる「民間仏」研究の可能性

2024年2月1日。
東京で開催中のあるユニークな美術展を訪ねた。
その名も「みちのく いとしい仏たち」。
北東北の小さなお堂や祠などで、地域単位で信仰の対象として祀られてきた個性派ぞろいの木像およそ130点を紹介するユニークな展示である。

パンフレットより

京都や奈良の寺にあるような、洗練の極みとされるものとは程遠い歪んだフォルム。
極端なデフォルメを施したかのようなその造形は、造仏の技術についてのみで語るならば、あまりに稚拙。ものによっては「出来の悪い模造品」のように見えてしまうかもしれない。
「円空」作の仏像のように、限られた時間での造仏作業の中で特殊な技法を選択したと思われるものもあるにせよ、生活に密着しながら祀られてきたそれらの木像からは「仏」という信仰の象徴にすがろうとした、地域の「祈りのかたち」を思い浮かべることができるような気がする。

そしてそうした像を一つひとつ、つぶさに見ているうちに私の脳裏を鮮烈な記憶と思いが駆け巡るのを感じる。
それはかくいう私自身も、この展示の監修を担当された須藤弘敏先生に付き従って仏像調査に赴いたことがあったからなのだった。


「人文学」とはなんぞや。
そんなこともろくに考えたこともないまま、人文学部で4年間を過ごした。
2年生の秋に、先輩に誘われるままに日本美術史のゼミに加入した。
担当教官の方針で年に1~2回、仏像や絵画の見学を中心とした研修旅行があるらしい……。
そんなゆるっとした情報で決めたゼミだった。

担当教官の須藤弘敏助教授(当時)は、温厚でユーモアにあふれた気鋭の若手の研究者(当時)で、わたしたち学生はちょっと年の離れた親戚のアニキについていくような気持ちで指導を受けていた。

スマホどころか、インターネットもまだない時代。
ゼミでは「七大寺巡礼私記」を読み、古文書解読辞典を片手に津軽藩の「什物目録」をめくり、源氏物語の中に記された美術関連用語を拾い出してデータベース化を目指した。

ゼミのライフワークの一つが、弘前市内近郊の古寺の仏像調査だった。
デジタルカメラはいまほどの性能ではなく、大型のフィルムカメラでそれぞれの寺のご本尊、脇侍などの諸仏を撮影していった。

「宗教的な意味合いのあるものを、こちらからお願いして撮影させていただくということを忘れないように」と先生は言い、まずご本尊に手を合わせるところから調査が始まるのが常だった。

優秀な学生ではなかった私も、機材などの荷物運びには精を出した。
照明を立て、三脚を置いて、照度計で露光をチェックする。
先生がカメラのシャッターを切る際には、わずかな揺れすらも抑えるために息を止めるようにして立ち尽くした。

気づけば、あの頃からはや、30年の月日が経っていた。

パンフレット裏面

パンフレットに載っている「仏たち」の写真はすべて、須藤先生の手によるものだ。
先生は青森を中心とする東北の仏像調査を進めるうちに、仏師の手によらず作られ、地域で信奉される「民間仏」の存在に着目するようになり、データの収集と分析を進めてこられたのだ。

日本美術史の中での『仏像』はこれまで、「歴史的な意義」や「美術品」としての価値に重きを置いて評価されることが当たり前とされ、誰とも知れぬ無名の仏師や、地元の大工が彫ったものは「地域での信仰物」としての価値以上のものは求められてこなかった。

その中で日本各地を巡って独自の解釈で木像を掘り続けた「円空」なる人物の作風が昭和期に脚光を浴び、ある意味ではその延長線上に「民間仏」という『新たなカテゴライズ』が生まれたように思われる。

須藤先生は30年前の時点で「円空仏はまだ掘り下げるといろいろ出てくるように思う」とおっしゃっていて、私は卒論のテーマに「初期円空仏」を選んだのだが、内容があまりにも不出来で先生の研究の助けにはならなかった。青春のトラウマのひとつである。

その後、須藤先生の退官時にお会いした際には「地方の仏像の面白さをまとめてみたいと思っている」という話もされていて、そのあと「民間仏」をテーマにした本を出版されている。

今回の展示は、須藤先生が長年にわたって手掛けた地域文化の調査・研究が「民間仏」という新しい切り口で、岩手や秋田での調査研究と融合して花開いた大きな成果。

仏像の歴史や、技術、美しさの研究については重箱の隅までつつき尽くされた感がある中で「民間仏」というカテゴリーが脚光をあびることの意味は、とてつもなく大きいのではないか。

「かわいい」「いとしい」「やさしい」
美術品について表現する際には使われてこなかったこうした言葉で、あえて「仏たち」を形容することによって、地域に眠っている仏像の価値を、民俗学的な意味合いとあわせて掘り起こす可能性が広がるからである。

さらに平たく言うならば、この先、若い世代が地域の「かわいい仏像」をSNSにあげ「バズらせる」ことから始まる新たな発見もあるかもよ、と個人的には思っている。

もし、そうしたムーブメントが起きたならば。
シャイな須藤先生は、公の場で自らの功績を誇ることはしないだろう。
ただ、お酒が入った時にだけは、ちょっぴり自慢されるかもしれない。

「あれはワタシが、ずいぶん前から目をつけていたテーマだったんだよ!」

そんな言葉を、いつかまた聞いてみたいものだ。



展示会について詳しく書かれたこちらの記事が参考になります。

「みちのく いとしい仏たち」は東京ステーションギャラリーで2024年2月12日(月・祝)まで開催中です。

見に行かれた方は、図録の購入をおすすめします。だって、他では見られないものばかりだからw

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